3月は、どうも落ち着かない月になってきた。
年度末のバタバタではなく、内面的な起伏との戦いという意味において。
昨日、ホワイトデーは母と電話で話した最後の日であった。
いつもと様子が違うと、お世話いただいていた近所の人から電話があって、
母に電話をする。
確かに前日私と喧嘩するほどの元気さはなく、
「大丈夫、大丈夫。うん、うん。」
という言葉のみ。
そして、翌朝、まったく電話に出てこないので、近所の親戚に様子を見に
行ってもらったら、救急車を呼んでいただく事態に。
私が母に会ったのは、病院の救急センターの中。もう目はうつろで、
普段とは全く違う状況になっていた。
管につながれ、必死に呼吸をしていた。ただ生きるんだとがんばっていた。
それが3月15日。
もう会話に応じることができない母の手をにぎり、
「がんばって、がんばって」
と声をかけ、検査が終わる夜まで待機・・・。
細菌性髄膜炎の疑いから、入院。
病室へ入るのも、今回が最初で最後になった。
医師からは、重篤な状況なので、万が一を覚悟するようにと言われた。
気持ちと関係なく、すべてが何かに押されるように、コトが進んだ。
そういう時がきたんだという、雪崩のような状態。
生きた母に会った最後の日。3月15日。
長年ずっと応援してくださっている人生の先輩が
人生は楽しい思い出が多い方がいい。
でも、実際は半々かな。
との言葉をくださった。
確かに楽しい思い出もたくさんあるが、
懐かしさとは、楽しいことばかりではなく、悲喜こもごもの感情である。
今となれば、3月はやはり、別れの季節か。
3月15日。あたたかい母の手をぎゅっと握っていた去年の今日。
母からの卒業の日だったかもしれない。
人生でもっとも長かった1日。
時は経ったけれど・・・。
私はおかげさまで、元気に生きている。
だから、心の中の母と対話して、今日も前へ・・・。
あのあたたかい握手を前進の約束として・・・。