オリンピックもそろそろ折り返しであろうか?
正直、あまりそちらにチャンネルを向けない。
華やかなことは、人工的なことは、どうも・・・。
いつまで、メダルの色や、数にこだわり続けるのだろうか?
政治がらみの、金欲まみれのイベントのまま、これからも続くのだろうか?
もし、オリンピックが100年後も残るとしたら、
それでも今と同じように金銀銅のメダルを求め競い続けるのか?国別に?
あちこちの都市で無駄な箱ものを作っては、無駄にし続ける?
サスティナブルとは程遠く?
時代が変わっても、人間が目指すゴールは結局変わらないのだろうと
つくづく思う。
いい記録を残したい。一番になりたい。勝負欲。
競争することが、生存である・・・。とても本能的である。
シンプルだ。
相対的な勝負、人との比較が嫌いで苦手で、そういう意味で受験なども
真正面から取り組んできたことがない、わが人生。
そんななか、毎年の行事として音楽コンクールにエネルギーを消費した
少女時代もあった。今から思えば、よくやっていたと思う、いい思い出。
岐阜や、東海、中部地区の代表として、全国大会に出演することが
親の誇りであったあの頃と、レベルこそ違えどオリンピックが重なる。
賞を取ることが目的。それで一年が過ぎたあの日々。
よく考えたら、それが何だったのか?と思う反面、そのときに弾いた曲は
40年以上経過した今も忘れずにインプットされている。
そして、今も練習せずとも勝手に指が動く習慣は、闘ってきた日々があった
からかもしれない。
努力したプロセスは、自分の体にしみついている。
勝負した時間があることは、実はあとに役立っているのかもしれない。
そういう意味において、今、この機会に限界に挑戦する選手の努力には
共感する。がんばってほしい。
その経験が、その人の人生にいい影響をもたらすと思うから。
がんばる時期にがんばる。
がんばれる時期にがんばる。
それは、今だ。
そんなことを教えてくれる。と言う意味でオリンピックは
意味はある。