17回目の冬に思う。

コロナのおかげで、オンラインでの仕事が可能となり、名古屋へ引っ越して遠くなった新潟出張の回数は激減した。
久しぶりの新潟行。しかもこの季節。
かの川端康成の小説にあった「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」
というくだりをいつも、思い出すのが上越新幹線に乗り、越後湯沢に到着する頃。くぐるトンネルごとに雪がお出迎え、そしてその地形により、雪の見え方も違う。スキー場がある山あいの雪、さらに平野の広がる銀世界・・・。
同じ雪でも、その場所場所で、違う表情を見せてくれる。
この広々とした新潟の地に向かう、この回数はこの17年間で何回重ねたことか。
数えたこともなかったが、1年に10回としても、170回。実際にはもっと通っているはずだ。
この景色に触れるのがいつの間にか普通になり、感慨も薄れるぐらいに、親しんできた新潟時代。
雪の季節には、しみじみと、ああ、ここは本当に雪国なのだと、自分の生まれ故郷とは違う厳しさのなかで、生きてきた人々への尊敬の念が生まれる。
厳しいなかで育ってきたから、我慢強い。
「新潟の冬は、こんなもんですよ。雪がなければ、美味しいコメも酒もできない
ですから」と地元の方がいつも言われてきた言葉が、この風景のなかに浮かぶ。
写真は、久しぶりの雪の季節の出張でみつけた車窓の様子。
にいがた。思い出がありすぎる。いつのまにか、第4のふるさとになった。
コロナのせいで・・といいたいことも多いが、コロナのおかげで、
ダイナミックな四季に触れることへの感動が、ありがたく思えてくる。
なんだか、感慨深い新潟出張。東京から通い続け12年、名古屋から通って5年。
春を待ちわびる気持ちと、冬のままでいてほしい気持ちが入り混じる
2月の越後行き。

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