毎年自主的に続けてきた成果発表・交流会。気が付けばもう7~8年目。最初から継続するつもりがなかったため、もともとは主催者が自分でなかったこともあり、回数もカウントしてこなかった。毎年今年で終わり、最後と思ってきたのになぜか終わることなく、今も続いている。企業もお役所もちょっと落ち着く五月が良いかなということで、春になるとやっぱり今年もやらねば!と思い立ち、準備を始めるのである。
毎年新しい受講生が増え、また久しぶりの方が参加されたり、と参加者層も毎回変化、マンネリにならない。参加者同士の化学反応が楽しい。どの人にとっても新鮮で、とても刺激的。そこでコラボが生まれたり、友情が生まれたり・・・その関係を見守らせていただけること自体が、なんだか心地よい。
広報の活動発表会と交流会。今回の参加者は30名ほど。一年に一度のこの勉強会で自分の取り組みを見直し、整理でき、発表できる機会というのは大切なようだ。振り返りと気づきを求める人がこの勉強会を有効活用している、単に「売り込みたい」だけの思いだけでは、人間成長しないのだと思う。
さて、この勉強会は5時間の長丁場。気づけば、ほとんどの人が写真を撮らなかった。会社の日報に報告が必要といって、いわゆる証拠写真として撮った方はおられたが、人の発表風景をパシャパシャ撮ったり、再会を祝しての、いわゆる記念撮影もなかった。この会でも全員で写真を撮ってきたことがあったが、会場の都合もあったりその場も雰囲気もあり・・そんなこんなで、今回はあえて集合写真もやめておいた。
もったいなかったかな、せっかくの機会なのにとは思ったが、写真よりも大切なものがみなさんに残ればいいし、写真はあえてなしでと、そのまま閉会にした。
なんでもかんでも写真ありきの現代。誰でもいつでも撮れる現代。(最近は、空から無人で撮ることが話題?になっているが)でも、何か画像に残すことではないことで、残したいものがある。その空気であるとか温度であるとか、言葉であるとか。もちろん写真があることで、記憶は倍増するだろうが、情報がてんこもりの現在に、ときどき、写真撮影を忘れて議論したり、交流するのもいいスタイルだと思う。出会った人がそれぞれに、いい感じに刺激を受け、成長するきっかけを得られればそれでいい。かくいう、主催者である私自身が、黒子であるために得るものは大きい。人の成長を見て、自分を振り返る。心のなかに、出会った人たちのことが深く刻まれる。また1冊 心の中にアルバムができる。これで、良い。
写真はないが、翌日寄せられる参加者からのお礼や感想メールを見ながら、ひとりほほえみ、ああ、今年もやってよかったと安どする。「また来年やってくださいね。」「次回も楽しみにしています」多くのこの声に押されて、結局はまた・・なのか。心の中に見える映像がくっきりとよみがえり、それが私の背中をまた押す。
あえて「記念写真なし」も、また好し。
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