悲愴に惹かれて・・・

実は「悲愴」の二文字に、小学生のころからちょっと憧れていた。
五年生の時、合唱団であの名曲に出会ってから・・・。
ベートーベンのソナタ8番「悲愴」 の三楽章である。
ピアノ曲が合唱曲になっており、その美しいメロディに感動。
気に入って、いつもいつも、鼻歌で歌っていた。
悲愴。その意味は、深くわからず、理解せず・・にである。
単にその音色の美しさから、大人っぽい、知的な感じ・・という印象であった。

そう、、あるいはチャイコフスキーの交響曲にも
「悲愴」というタイトルがついた名曲がある。
悲しみの原野が広がってきそうな、名前にぴったりの沁みる曲だ。
この曲の背景には、名前のとおりの悲しい物語があると読んだことがある。
作品は、作曲家の人生とともにあるのだということを学んだ。

さて、その「悲愴」の意味をたどると、悲しく心が痛ましい様子とのこと。
同じ「ひそう」には「悲壮」という文字もあるが、こちらは悲しくも元気というか、
パワーもあるという前向きな要素も含まれているようだ。
普段はあまり使わない「悲愴」は、深淵なる音楽や美術に適した言葉という
印象だ。

さて、久しぶりに、小学生のとき、父に無理やり買ってもらった分厚く、
ボロボロになった楽譜を引っ張り出して、そのピアノソナタ8番「悲愴」を、
40年ぶりに全楽章を弾いてみる。
きちんと弾けないかもしれないのに、
急に、その「悲愴感」を味わいたくなったのかもしれない。
1楽章の荘厳かつ苦悩に満ちた重音、二楽章の優しさに包まれた
柔らかいメロディ。そしておなじみ三楽章は美しく、
そして永遠の悲しみに包まれ、余韻を残して終わる。
と、勝手に表現するとそんな流れ。
人生とは、生きるとはそんなに悲しいものなのか・・
と問いながら味わえる。悲愴なる世界のなかで、心が落ち着き、
すっと背筋が伸びて終わる。
私は、それでも生きる!という感じだ。

それにしても、見事なソナタ。いつ弾いても最高の作品だと思う。
今さらながら、ベートーベンのこの曲に向かう背景を改めて知りたくなる。
悲しみのなかに、静けさと落ち着きをみつけることができる不思議な力。
そう、悲しみとは、浮き沈みもしない、
安定した生きる力になっているのかも
しれない。

今になって、改めてこの曲が好きになった。
もし、「悲愴」を弾きながら、息絶えたら、なんとかっこいいことか・・・。

生きるとは、悲しみとともに、悲しみを乗り越えて・・・。
そう。この「悲愴」とはしなやかに生きるヒントを
与えてくれるのかもしれない。

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