次は遺言ですか?

相続とは、誰かの「子」である限り、多くの人が無縁では
生きられない宿命的なことだということが、だんだんわかってきた。
親が元気なうちは、言葉だけの「相続」、よその世界での話。自分には関係ない、と思っていたが、これが、親の旅立ちとともに現実の課題として、自分にのしかかってきた。

ところで、この「相続」という言葉は、もともと仏教用語だったという説もあるようだ。
先祖の思い、存在を受け継ぐ。というのが本来の意味のようで、
単に財産を承継するとか、分け合うというのとは違うようだ。

とすると、相続とは、大変に重い仕事ということになる。

正直、私にとって、今、人生の荷物が増えた感じがしている。
持ちたくない荷物を誰かが持ち、なんとかしなければ。
今、この荷物を捨てるわけにはいかない。
少し、先を見ながら、ベストな方法を選び、実施していかねばならない。

と、そんなことを考えていくと、次は自分の人生のしまい方となる。
相続のことで、司法書士の方と話していると、
相続の次は、遺言ですね。
という会話になる。

自分の遺言の話である。

そんな年齢ではないのに・・・と思いつつも、今のうちがよいのだとも
思えてくる。
命が終わるまで、何かしらの役割や荷物を持ち続けて 
命を燃やしていくのだろう。
周囲に迷惑をかけずに旅立つためには、必要なこと。
相続されるときの段取りを自分でしていく、そして終わる。

人生は、なかなか落ち着くことができないもののようだ。


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