ブーケに導かれる新しき年。

年賀状やおめでとうと言うあいさつのない新年という、このなんとも慣れない、寂しすぎる味気ない1年のはじまり。思うことが多々募る年明けである。
こんな経験は人生で初。正直長い数日だった。
間違って年賀状を出しましたと言われると、ホッとしたり、嬉しくなるほどに・・・喪中の正月はなんとも・・・である。
何度も経験したくないと、正直思う貴重な年明けだ。

そんなところ、旧友が久しぶりの再会に、特製のブーケを持参してくれた。
紫が好きだった母のためか、私のことを思ってか・・・。
「はい、これ。よかったら飾ってね。」本当に、うれしくてたまらない。
実は、その前に、お墓に寄ったら 2日前まで元気だった2本のチューリップが
ぺこんとおじぎしていて、その花を取り去りながら、花の命の短さを感じていたところ。
そこへ、またこの新しい花に出会えて、自分が生き返った気持ちにもなった。

ブーケ・・・。アレジメントと違って、自由度がある。
また、花束はステージをイメージし、また拍手の場面も浮かんできて、高揚した気持ちになる。
とあれこれ想像を膨らますだけでも、幸せな気持ちになれる存在だ。

いつの頃からか、花とは最高のコミュニケーションツールであると
実感するようになった。
寂しいときも、悲しいときも、うれしいときも、楽しいときも・・・。
喜怒哀楽をすべて包んでくれる存在。
とくに、親が旅立ってから、花は友達のような存在になっている。

音楽の学友からのギフトだから、ちょっと楽譜と一緒に・・・。
ありがたい新年。
あらゆることを乗り越えて、感謝を忘れず、
さしくしなやかに生き抜いていこう。

と自分に約束する夜明け前。

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