遠藤周作と母と・・・。

遠藤周作という作家の存在。できれば、生前にもっとよく知っておき、もっとよく学んだおきたかった。子供のときの印象でいうと、インスタントコーヒーのコマーシャルの印象が強く、それ以上はわからなかった。まだ幼かった。同世代の人のなかには、「こりあん先生」として馴染みがあるという人もいるようだ。

もちろん著作は永遠であるため、今からでも遅くない。
キリシタン文学としてだけでなく、生きることへの問いかけについて、多くのヒントを与えてくれる大切なひとりでもある。
(といっても、まだまだ読み切れていないが・・・・)

「深い河」は、30代前半に読んだ記憶があった。映画の影響であったかもしれない。それ以後は、ザビエルに興味をもってから、何かと長崎との接点が増え、この作家への興味も膨らんだ。
以来、遠藤周作が愛した長崎の外海(そとめ)地区~「沈黙」の舞台となったエリア~にある遠藤周作文学館に足を踏み入れ、その思索、制作の一端に触れ、自分の頭と心の整理と創作活動に生かしている。
この地に立つだけでも、小説の主人公にでもなった気持ちになれると思うほどに、現世と思えないロケーションにある。確かに禁教時代に、キリシタンが浦上の方から逃げて潜伏した・・・にふさわしい、さいはての場所である。

今回 企画展で、遠藤周作と母のかかわりについて紹介しており、引き寄せられるものがあった。
氏の母上は、バイオリンの演奏家であり、10歳のときに離婚をされ、その後、洗礼を受け、敬虔な信徒生活をおくり、その教えを子にも与えた。崇高なるものを求め続ける人生だったのだろうと想像するし、氏も折に触れ、母上の生き方について書かれている。

と、それ自体が小説になりそうな人生の始まりであるが、遠藤氏はお母さまが亡くなった後も、生涯、ずっと母上のことの影響を受け、作家活動を続けてこられたという。
作家という才能を見出し、その道に進むようにすすめ、そのための応援をした母親。母親がいなければ、作家としての人生はなかったとのこと。

レベルは違えど、ふと、自分のことに置き換える。
わが母は、童謡を歌うぐらいしかできなかったが、それでも音楽好きではあった。試しに3歳に娘にオルガンを習わせてから、一生懸命に練習をする娘に期待して、私の幼少時代、母はすべてのパワーを私に費やした。
なんだか、遠藤周作とお母さまの関係と少しだけ共通する。
背景も環境もすべて違うけれど・・・。

母がいなければ、今の自分はない。
当たり前であるが、その存在をいつまで、どこまで大切にしながら、与えられた生を全うするか。
遠藤周作は「母」に関する著作も多く書かれているようだ。これから、そのあたりも研究していくとしよう。
母の存在。自分のささやかな才能?力の中には、母の存在が、母のパワーが、母のエキス?が入っているのだ。そう思うと、もっともっと!と思えてくる。
遠藤周作もきっと、母のことを思いながら、生涯 思索・執筆活動をされてきた。姿かたちがなくなっても、ずっと生き続けているのだ。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/endou/project/

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