サイレンス・クリスマス2021

実に静かな12月25日。寒気団も訪れ、行きかう人も少ない、長崎市のはずれ外海地区に向かった。見た目は美しい青空であるが、海の近くに行けば、吹き飛ばされそうだ。
そんななか、雪降る前にと、以前ミニコンサートでもお世話になり、多くの発見と学びをいただいた明治時代の名残を残す場所に、再び足を運ぶ。

そして、近代日本にキリスト教の布教とともに、写真の教会建築のほか、医学や印刷技術をももたらした(私にとってはこちらが興味深い)ド・ロ神父。その方が、母国フランスから持ち込んだオルガンとの再会を果たす。

3年前、台風のなか、このオルガンを使って障がい者の方と一緒に音楽を楽しんだ日々が懐かしい。実に素朴でいい音を出していた。足でペダルを踏んで音を出す。ピアノとは違う奏法になる。
リードオルガンという伝統的なオルガンで、指1本でも、和音演奏ができ、賛美歌には最適な楽器としてここで、キリスト教を学ぶ人々のため重用された楽器だ。
そのオルガン、なんと故障して音が鳴らなくなった。今は、修理待ちなのだという。

そうか、今日は音を出せないのか。それは、残念。
ぜひあの音を、今年の締めとして、父母へのレクイエムとして、ひとりでちょっとだけ鳴らしたかったが、まあ、故障となれば仕方ない。形あるものは壊れる。
100年以上がんばっているのだから、壊れる方が自然かもしれない。

その姿を見るだけでも、十分、音は想像できる。
オルガンの横には、キリスト生誕を再現したかわいらしいデコレーションが、静かなクリスマスを祝っている。
無音のなかで、長崎におけるクリスマスを思い、私にとっての今年を思い、母と私をつないだオルガンに思いを馳せる。
そう、母の私への音楽熱は、オルガンからはじまった・・そんな半世紀前のことも思い出しつつ・・・。

にぎやかなクリスマスと一味違う、強風のなかひとり歩き進んだ、長崎そとめでのひととき。静寂はときに心にしみる。
そう、遠藤周作もこの地がもっとも好きだったというが、そこはよくわかる。

オルガンは、年明けになったら、ドイツ人の技術者が修理にやってくるという。
「2月には音がまた出るはずです。また弾きにきてくださいね」
と言われ、来年の楽しみが増えた。
オルガンの曲も来年はつくろう。
無音のオルガン。心のなかで、しずかに響き続けた。しみじみと、今年らしいマイ・クリスマスになった。サイレンス・クリスマス。静寂は最高のギフトとなった。

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