楽聖誕生への感謝の朝。

今朝、テレビのチャンネルをBSに切り替えたところウィーンの街並みが映り、偶然、あの方の銅像の写真が飛び込んできた。
「あれ?そういえば・・」
そうだその銅像は、ベートーベン。
あれ、そういえばと思ったのは、確か昨日か、今日が誕生日では?
早速調べるとやはり12月16日。時差を考えたら(ドイツとの時差は8時間)
まさに今は12月16日。ベートーベンの誕生日に間に合った。ということになる。

ベートーベンが「忘れるんじゃないよ」と私の前に、現れたのだろう。
1770年12月16日にドイツのボンにて生誕。上の写真がまさに、ベートーベンが生まれた屋根裏部屋だ。(もっとも当時のままではないが)
コロナ禍で昨年の250年祭が影響を受けたことも記憶に新しい。
そして、下の写真は、その屋根裏でベートーベンを生んでくれた母親 マリアさんの墓地。こちら、生家から徒歩20分ぐらいの場所にある。

毎年、年末になると第九の演奏をよく聴いた。また小学・中学時代は大人に混じって合唱にも参加した。あまりに壮大で、歌いながら涙があふれ、演奏が終わると満足感と、生きる喜びに満たされる命のシンフォニー。
ベートーベンの耳が悪化しているなか、作曲された驚きの作品だ。
なぜ、聴こえないのにあんな素晴らしい曲が書けたのだろう。
歌やピアノだけの曲ならば、まだしも、オーケストラと合唱が調和する壮大な
スケールの交響曲である。不思議で仕方ない。

かつて、元京大総長をつとめられた平澤興さんが、若き失意の日々、救われたのはベートーベンの夢だったという。
自分には能力がない、と落ち込んでいるところ、枕元にベートーベンが現れたという。
彼は耳が聞こえなくてもあんなに立派な曲を残している。それにひきかえ、自分は五体満足ではないか。もっとやらねばならない!と決意し、そこから猛勉強し、自身の道を切り開いたという話は有名だ。

そう、今でこそ、パラリンピックや障がい者との共生などと言っているが、
200年以上前に、不自由があっても、限界まで努力し、後世に素晴らしい作品を残した偉大な人がいるということを、忘れずにいたい。

ベートーベンの存在。
私にとっては、初恋の人と言うほどに、本当に大切な存在だ。
小学校の頃、図書館から何度も何度も伝記を借りて、若き日のベートーベンの肖像画に胸をこがした日々を思い出す。

ベートーベンに感謝、そして偉大なる存在を世に送ってくれたマリアさんに感謝。
さあ、今日という大切な1日。自分も全力で、自分ができることを全うしよう!

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