後で、語られる思い出の人に。

人生。
終わったあと、残された人同士での交流が始まる。
話題がある、思い出が多い人ほど、その人生は幸せだったのだと
改めて思う。
両親のことでお世話になった方々へのお礼、ご挨拶などが続いているが
口々に、生前の思い出について話してくださる方が多い。
「いつも、元気に自転車で走ってみえて、すぐわかった。どこに
  いてもすぐわかる人だった」
「一緒に旅行に行った思い出がたくさんで、本当に懐かしい」
「口は悪いけど、職人としての手先は最高だった。あの器用さが
 昌子さんのピアノの指先に受け継がれているのかもしれんね」
「よく、柳ケ瀬に飲みに行った。無礼講だった。酒を飲んだら
 よく話していたなあ。ほんとうによく飲んだわ」
「仕事が終わってから、毎日名古屋までレッスンの迎えに行って
 おられたこと、お父さんは一言も話されなかった」
「いやー、ほんとうに立派な人だったよ。」
などなど、最近聞いた話の一部であるが、この会話の断片から、自分が知らなかった親の素顔が見えてきて、改めてその存在に感謝の念が生まれる。

亡くなったあと、語られる人になること。
思い出になる人。
そうなるためには・・・。

最近、そんなことを考え、道々で空を見上げながら、親の笑い声を
思い出している。

それにしても、思い出が多すぎる人たち。
そして、皆さんに愛された人たち。
これからも心に生き続けることだろう。
両親と関わりをもってくださった全ての方に、心からの感謝を込めて。

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