GIFTFULな人生。

日々、日常生活を送りながら、親の残したてんこもりのモノを確認、処分しはじめている。
親の人生を、モノから辿る時間にもなっている。

トラック1杯や2杯では終わらない膨大な荷物について、目を通しながら、処分するしないを即時判断し、業者の方に手伝ってもらう。
この何か月か両親の荷物に向き合っているが、母の荷物が圧倒的に多い。
最初はモノの多さにうんざりしていたが、それを通り越して、今は修行のごとく、仕分けをしている。自分がやらねば終わらない。
最初は面倒だ、嫌だと思っていたが、今は亡き母が遺したものは、彼女が遺した人生を私なりに振り返る時間になり、あっという間に時がすぎる。

私や妹の成長の記録、通知表や卒業証書、さまざまな手紙、旅のリーフレットなど印刷物、そして写真の数々・・・。そして食器・衣類に雑貨、書類、カセットテープ・・・・。
さらに、人にあげるためのお土産類、そして人様からいただいた寝装品や雑貨、キッチンウェア・・・・さまざまなギフト品、そしていただいたものの包装紙や、紙袋・・・。
とにかく旅を楽しみ、その楽しみを人にお土産でおすそ分けしながら、そして、自らもいろんな福をいただく・・・。

ギフトを贈り、いただく。

そんな人生だったのだろうと、遺品整理をしながら、思えてくる。
何十年前のギフト品は、さすがに今は使えないものばかりであるが、その当時の日本のギフト市場の様子も見えて、現在との違いもわかって、勉強にもなる。
大きな寝装品や重いキッチンウェアが喜ばれた時代。大きいことはいいことだの
時代。婚礼から葬礼ギフト・・・。
パーソナルギフトは高度経済成長後に伸びた産業で、今もそれは日常化している。
また日本人には特有のギフト文化がある。
形は違えど、今もその心は生きているかもしれない。

ギフトのGIVE&TAKEを繰り返した母の人生。
そこから、ありがたい人とのご縁も多く育まれたことだと思う。
そうそう、とれたての野菜をいつももらっていたが、これもありがたい贈り物だ。

GIFTFULな人生。母はやっぱり、幸せな人生を送ったと思う。
遺された多くの昔のギフト品は、海外の人々に利用いただけるよう業者の方にお願いしている。使っていただければ、母も喜ぶだろう。最後までギフトだ。

まだまだ修行は続くが、発見や気づきが多く、人生に何度もできる経験ではない。そう思って、楽しみながら、疲れることにしよう。

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