マスクコミュニケーション・トレーニング

コロナが私たちに与えたもの。
非接触のための、リモートコミュニケーション。
同じく、感染予防のためのマスク着用の徹底。

この二点は、本来人々が(もちろん私も)求めたい、「密接なコミュニケーション」のハードルになっている。
リモートでも話せる、やりとりはできる。カンタンに会える。いつでもどこでも会える。と、大変便利である一方、
直接会ったことない人とのやりとりの難しさや、また立体的に相手を見て、五感で感じることができない分、もどかしさや、すっきりしない感覚は残る。

さらに、マスクをしたコミュニケーションも、目と同様、表情を最も表す口元が見えないため、こちらもすっきりしない感覚が残ることがある。
ほんとうは、どう思っているんだろう?
と、常に想像をしながら、言葉を選ぶ必要がある。

先日来、現場で仕事をされる人たちとの面談を行っている。コロナも落ち着き、リモートではなく、直接お会いすることができたのは良かったが、マスクや帽子で、目以外の顔のほとんどを覆っておられる方もあり、目と、マスクから聞こえる言葉だけが頼りとなった。
どうしても、空気がやわらかくなるまで、マスクなしのときと比べ時間がかかる。
初対面で、目だけしか見えない。
かなり想像力を働かせての言葉のやりとりとなる。あっちから、こっちからと、
言葉を投げかける。見えないから、手探り状態も続く。
どんな顔付きの人なんだろう?どんなこと表情なんだろう?この人は、どんな人なんだろう?今、何を考えているんだろう?
初対面でのコミュニケーションは、相手を知りたいため、余計に想像を働かせることになる。そして、互いに緊張。

顔さえ、見えたらもっとよくわかるのに。もっと早く打ち解けられるのに。
と、見えないなかでのコミュニケーション。本当にいいトレーニングになっている。

ではあるが、やはりはやく、マスクを外して、お顔を拝見して こちらも見せて
心ももちろん開いて話をしたい。

飲みニケーションは、それらをはずしたフルオープンのコミュニケーション。
だから、人々が求める。解禁となった今、酒場で楽しい飲み会に興じる人も多いのはそのせいだろう。皆さん、コミュニケーションしたい!のだ。

リモートとマスクコミュニケーション。
もうしばらく、この環境でがんばらねばならない。

今、改めて鍛えよう!想像力!
そして、透視力?

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