ピュアな心に触れる時間を。

障がいをもつ人たちとの交流、学びの機会を重ねている。
いろんなキャッチボールを試みて、その時々の反応でこちらも
多くの気づきを得ている。
YOU TUBEに公開している自分の演奏風景を、皆さんに見て
もらう時間があった。自分の今年を振り返り、両親の話をして、
ふるさと、親のことを想って作った曲(「みず・つち・ひと」
と、「ひと・文様」の動画を流した。

その間、うつむいて聴いている人や、じっと観て見入っている人や、
手もとに配付した歌詞を読みながら、静かに聴いている人、
足で拍子をとっている人・・・と、さまざまな反応。
演奏が終わると、大きな拍手をくれる方、じっとしている方。
これもさまざまだ。この「さまざまな様子」も勉強になる。
歌声を褒めてくれたり、じんときたとか、いろんな言葉を
投げかけていただいた。もちろん黙っている人もいる。
中には、すでに母親を亡くしている方が、演奏を聴いて
そのことを思い出したらしく、泣き出した方もおられた。
いずれも純粋な反応だ。

障がいがあっても、親の大切さや、ふるさとへの思いは、
皆変わらずだと思う。
障がいがあっても、苦労があっても、悲しみがあっても、
自分のルーツ(ふるさと・親)のことを想って元気に
生きることの大切さを伝えたかった。

その思いは、どうやらそれぞれに
受けとめていただけたようだ。

インクルーシブについて、昨日も書いたが、
お互いの違いを認めながら、一緒に助け合って生きる。
人としての根っこは共通だから。

障がいをもつ人たちとの時間を、もっともつようにしたい。
障がいに限らず、多種多様な人との関わりをもっと増やしたい。
利害ばかりを気にする、利益のみを追いかける、経済優先だけの
狭い世界ではなく、人としての問いかけを常にできる世界に身を置いて、
自分がすべきことを考え、行動したい。

ピュアな心にふれる。
このことは、とても重要だ。
きれいな心のまま、現代社会で生きることは
とても、難しいのだけれど・・。
流されず、自分らしく生きていくためにも、
これらの出会いや、貴重な経験を大切にしたい。

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