そういえば、きちんと教えられていないこと

人は生まれながらに呼吸する。このことは誰からも教えてもらっていないはず。健康であれば、普通に呼吸をし続けている。次第に歩行を覚え、食事や排せつを覚え、言葉を覚え・・・・そして一人前になっていく。気が付けば、仕事をして生活することを何十年も続けていることがとても奇跡的に思えるし、そして健康だからこそと思うとありがたい限りだ。
一方、なぜ人は勉強をするのか、きちんと生きていくためにお金はどうするべきか、人生とは何か?結婚とは何か?子孫とは?家とは?死とは?などについて、きちんと教えられた記憶があまりない。物心ついて、ある意味、「道徳の時間」はそういう意味合いをもつ時間だったのかなと思う部分もあるが、「生きる」ということについて具体的に踏み込んで教えてくれる学校もなかったし、親からもそのようなことを改めて聞いたことはなかった・・。しかし、最近こういったことが生きていくうえで、大変重要ではなかったかと思う。
子供の頃からいろんなことが疑問だらけであり、なぜみんなは疑問をもたずそのようにできるのかな~。あるいはみんながわかっていて、自分だけわかっていないのかな~と思うことが多かった。
たとえば「結婚」について。このことの人生における意味、意義、責任についてきちんと説く学びの場はあっただろうか?ないはずだ。なのに人はある程度の年齢になったら、自然にそのことを求め、求めない人は非国民?のような時代もあり・・。アンケートで「既婚」「未婚」
と選択肢があると、わざわざ決して「非婚」と書きなおしていた時代もあった。
結婚すると生きるのに便利だから。という人も多い世の中。今だに、何が便利なのかもわからない。
正直50歳を越えても、なぜこのことをみんな問わないで選択し、行動していくのかがわからないままである。
人は何のために生き続けるのですか?このことについて、宗教や哲学は何かの答えなり、答えに向かう道筋を提示しているからそれを求める人には役に立つ。
先日キリスト教の教会に出向いたとき「結婚学校」という札が掲げてあり、そうなんだよな~、結婚ということに興味をもった時点で学ぶ必要がある、大切なことってこういうことだよと妙に納得。もちろん興味をもつ前に、思春期になったらしっかり教えることも大切だろう。
「婚活」という言葉がすっかり定着しているが、それこそ、戦術的な、短絡的なことではなく、そもそもなぜ人は結婚するんですか?について自らに問うことから始めて良いのではと思えてならない。
多分、私はいろんな意味で何かが足りないまま来てしまった人間。だから人が見ないところを見たり、気づかなくていいところを気づいてしまう。だから、時々苦しいときもあるが、それはそれであるがままに生きる。そして、きちんと教えられていないことについて、わかる範囲で、求める人には伝えていきたい。そんな人がもっと増えるといいと思ってもいる。
大切なことがどうも抜け落ちたまま、目先の幸せ、目先の利便性を追求することが当たり前になっているような・・。そこは簡単にスルーしてはいけないことだと思っている。
考えないと、うわべだけで選び取って進むと、気が付けばこうなるはずじゃなかった・・という道に来てしまうこともあるかもしれない。
自己責任で生きる以上、よく考える、疑問をそのままにしない。という姿勢は大切だと信じている。

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