マスコミの役割について、考えさせられることが多い近年。
公器として、報道する立場としての思慮深さ、社会への影響を
よく考えて報じているだろうか?
興味本位や偏狭な解釈、あるいは操作的な意味合いを忍ばせて
発信してはいないだろうか?と疑問に思うことが多い。
もちろん反対に、共感できるメッセージを発信しているメディアや
コンテンツ提供者も存在はしているが、それはマイノリティで、
意識して、探そうと思わねば出会わないことも多い。
ネットで素人がつぶやきと称しながら、吠えているのとは違い、
プロであるならば、社会へのより良き影響、全方位的な幸せ、
平和を意識して発信すべきではと、広報の世界をしばらく垣間見てきた
立場としては、そう思えてならない。
コロナのことや、政治的なこと(この国のゆくえ)について、
この何年間かはそう思いながら、動静をみつめている。
そして、このたびの若きカップルの報道。
パパラッチ的な執拗な取り上げ・・・。事実は何であれ、報道されてしまえば、
それが事実として、認識されてしまう。
反論することもできない環境に生まれてきた方々にとっては、
一方的な報道は暴力であり、人権侵害である。お気の毒である。
今日は、静かにそっと見守り、新たな出発をお祝いしてあげればいい。
そっとしておく。ときには、そんなメディアがあっていい。
報じる側も、ときには配慮、遠慮、思慮を尽くして、
人として、の仕事をしていただきたい。
いろんな生き方があっていい。
人は人。
人のことを気にするよりも、自分のことをしっかり生きるように
そんなメッセージならば、歓迎だ。
報道関係の方へは、プロの仕事、後世に残る仕事、人々が感動できる
メッセージをぜひ・・・。そんな風に想う。
若きお二人の勇気ある選択。気持ちよく出発できるように。
ハッピーエンドになるように。
報道、発信という仕事も、持続可能な仕事になるように
心から願う。
そのためには、自らの考え、思い、哲学が必要だと思う。
そして、
愛と優しさも・・・。