父のお供と、お揃い。

父ががんばって生きているときから、父のお供について、考えていた。
万が一・・をどうしても考えざるを得ない日々であった。
いろんなものを少しづつ用意していた。でも役立つ日はずっと遠いといい
と思っていたが・・・。

そして、今となっては
父の旅立ちに用意したものと同じものが、急にほしくなってきた。

親愛なるアッシー君への感謝状は、前書いてくれた書家さんに
また同じものを書いてもらうことにしてあった。
マフラーは紫色で観覧車ロゴ付。追加で急いでつくってもらった。
帽子は、東京の仲間たちがなんと、プレゼントしてくれた。
そして、入院してから2年間、ずっとベッドの横に置いていたぬいぐるみ。
相方が調達してくれて、ずっとお守りのように置いていた。
これも同じものを取り寄せた。

こうして、父が持って行ったものと同じものをいくつか
手配して、揃ったら、少し寂しさがやわらいだような・・・。

父のお供と、永遠のお揃だ。
それぞれ、自分が思い入れのあるものばかりを
父に持って行ってもらったので、余計に思いが募るのだろう。
もちろん、父が愛用した思い出の品々は、母のそれとともに、たくさんある。
ぼちぼち整理をしながら、再び親の一生をたどる時間を過ごすことになる。

命果てても、ものが残る。
命果てることで、存在がより強く残る。

そんなことを想う、肌寒い朝。

さあ、今日は京都へ。

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