父の帽子愛。

今回の葬儀でもっともよかったと思っていることは、
父が40年以上お世話になった会社の社長さんにおいでいただけたこと。
定年退職して約四半世紀経とうとしているため、退職後は、ほとんど
交流がなかった。
けれど、父が2年前、脳梗塞で入院したときに、病院の近くにその会社があったため、あまりにご無沙汰していたけれど、勇気をもって連絡してみると、
社長さんがすぐお見舞いに行ってくださった。

父よりずっと年下の社長さん。先代が亡くなって32歳で社長になられてから、
父が社長さんの片腕だったようで、一緒に仕事をしてきた。
年上の番頭はきっとうるさかったことだろう。先代に仕えた身として、息子である若社長に対して、上から目線だったかもしれない・・。

葬儀の席で、社長さんが、お別れの言葉ということで、スピーチしてくださった。
「お見舞いに行ったとき、半身不随にならないように、リハビリをがんばると、そんな話をしていたのですが・・・」とまずは、そのときの様子を語られた。
そして、父の現役時代の話に・・・。
父の若いときからの帽子づくりに対する情熱、技術について話してくださった。
参列者のほとんどが、知らない父の一面を初めて知ることになった。

若い頃は、業界主催の帽子コンクールで、毎年入選していたとのこと。
その創造力が素晴らしかったと社長さん。
なぜ、そんな帽子ができるのか?
と、不思議に思われていたそうだ。

そして、今回、斎場に来られ、父の遺影を見たら帽子をかぶっている。
そして、会場には私が贈ったり、父が愛用していた帽子もいくつか飾ったため、それをご覧になって、社長さんは、いかに父が生涯、帽子が好きだったか、帽子を愛していたか・・を改めて、理解されたのだそう。

「今尾さんは、帽子を愛しておられたから、素晴らしい帽子ができたんです。
 改めて今回、わかりました。帽子愛がある方だったんです。」

帽子愛・・・。初めて聞く言葉だった。
制帽会社を先代から受け継ぎ、帽子づくり一筋に生きてこられた社長さんにとっては、この仕事仲間の変わらぬ「帽子愛」こそが、一番の誇りであり、喜びであっただろう。

父のつくった創造性豊かな帽子・・・。もう、ほとんど記憶にないが、
父はもしかしたら、クリエイターだったのだろうか?
その血はひいているのだろうか?と思いながら、社長さんのお別れの言葉を
聞かせていただいた。

人生の結びに、その人の魅力を知ることもある。
ありがたい。


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