旅立ちのお供に・・

10月14日に安らかな眠りについた父を、昨日16日無事に送ることができた。
あと2週間がんばってくれたら満85歳になったのに、享年85歳として、この世での人生を終えることになってしまったのは、ちょっと惜しいけれど。
コロナのせいで、なかなか会えなかったこの1年半。そういう意味では、十分に父にすべきことができたか・・というと、完ぺきというわけにはいかず、複雑な思いであるが、妹とふたりで、とくに母がいなくなってからは、父に集中することができたかなと思う。
夏を何とか乗り切りつつも衰弱していくなか、最期の居場所を探していた2週間前のこと、これからも毎日点滴を続けてくださいと医者に相談に行った1週間前のこと、面会に行って、言葉はないけれども、ハーハーがんばって呼吸していた父を見届け、出張に出た日、そしてその夜・・・のこと。
2週間前、1週間前から今・・・。
いろんなことがあったけれど、父は旅立った。

母に会いに行く旅のお供は・・・。
家族での思い出の品々・・。父が愛用していた帽子をはじめ、免許返納した年の誕生日に渡した感謝状、夫婦の元気な頃のツーショット写真、たいそう喜んでくれた岐阜新聞に寄稿した記事本、この1年間に父に書いた手紙などなど・・・。そして、実家の庭に咲いていたオレンジのコスモスを当日の朝、妹に摘んできてもらって、それも納めた。
2年間家に帰れなかったお詫びを込めて、せめてのお供に・・・。
旅に出かけるので、新しい帽子と紫のストールは母に見せるため?ちょっとおしゃれもして・・・。

などなど旅のお供は、私たちの気持ち。
今は一緒に行けないけれど、気持ちは一緒に・・。


母のときと同じように、そして父にふさわしい、いい見送りができたと
思い、静かな朝を迎えている。 安堵の気持ちと何とも言えない気持ちが混じりながら・・・。

父の生前、そして旅立ちに際し、本当に多くの皆様にご協力、ご支援、さまざまなお気遣いをいただきました。
いつもありがたく、本当に皆さまのおかげでがんばることができ、また無事に送ることができたと思い、感謝しています。
本当に、ありがとうございました。





カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク