「いのち」と経済。

コロナは本当に収束しただろうか?
理由はわからないが新規感染者が減少してきたということで、
これまで自粛していた飲食店の営業活動も再開、新しい生活様式の中で
経済活動が復活。どこまでどうなるか?は誰にもわからない・・・。
とにかくルールを守って、協力しあって、お店の活気を少しづつ取り戻せたら
と思う。経済といのち。この関係は、このコロナ禍で大変に考えさせられた
テーマであった。

今、私は違う局面で、経済と「いのち」について考えさせられている。
人の一生の最終章。
点滴などを利用することで、しばし、生命が維持される。
生きたいという人にとって、大変ありがたいことだ。
もう一日でも、がんばって生きてほしい。
口呼吸でがんばる父を見ていて、そう思う。
会話がおそらくもう成り立たないだろうが、がんばっているから。
と思う。
しかし、保険を使っての利用には限度がある。
それを越えると、自費での支払いとなる。
どこまでやるか、どこまでやれるか。
いのちと経済。この見極め、なかなかむつかしい。

今、自分では父のことについて、できることはしていこうと思っている。
一生懸命生きようと、口呼吸で、今もがんばっている父を応援したいと思う。
でも、どこまでもできるだろうか?
それはわからない。
最近思うのは、あまり先のことまで考えない。ということ。

目の前の現実を見て、判断する。
「明日と明後日は出張だから、元気でいてね。頼むよ」
ひたすら寝ている父に、声をかける。
明日明後日のこと。それしか今は考えない。
父も今しかない。今を頑張って生きているのだから。

同時にもしものことと、今のこと。
両方を頭に描きながら、今日のベストで前に進む。
それしかない。
「いのち」と経済。今の私にとって、もちろん「いのち」が最優先だ。
選べるのは贅沢なこと。

父も頑張っているから、私も!の朝がまた始まる。





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