テレビというメディアは廃ったという人もいるが、それはその人が何のメディアをよく利用するかで変ってくるため、一概にそうとはいえないが、それでもやっぱり質自体が下がっていることは否めない。
テレビはテレビの良さがあり、プロが企画、編集し、発信し、マスメディアとしてのダイナミックスな表現、発信をすればよいのに、最近はコンテンツ自体もくだらないし、結局はテレビショッピングかよ~という作りであるし、ニュース番組においてはテレビ画面の下の方で、ツィッターをそのまま垂れ流しする番組もあり、ニュースの価値を下げるだけでなく、いちいちどうでもいい一視聴者の気まぐれ、暇つぶしのようなコメントまで、ご丁寧に流してくれることで、「なんでこんなものまで流すんじゃ!」と画面の下部分を何かで覆い隠したくなる衝動になり、それもいやで、チャンネルを変えるがどうでもいい番組ばかりで、結局は不快なまま、スィッチを消すという流れになる。
また朝の番組に多いのだろうか?(とくに週末?)世界の暮らしを取材に行ってせっかく流しているのはいいが、そこに小さな画面枠があり、そこにスタジオにいるゲストかコメンテーターが必ず映っており、いちいち「わ~。すごい」とか「美味しそう」とかのたまうのも、不快極まりない。そこはただ、取材された撮影されたそのままの世界が流れていればいいだけで、現地の解説があればそれで十分なのに。それを視聴者と一緒になって見ながら意味のない言葉を発するゲストも出演している・・。
なぜ、そこにいちいち、視聴者と同じような人が出る必要があるのだ?これは話して、お金をいただく仕事としてありなのか?
視聴者参加も、素人参加ももう要らない。
マスコミといわれているメディアぐらい、しっかり自己主張してほしいものだ。
社会に迎合するあまりか、エッジの効いていない、単なる暇つぶしのような企画が増え、それにお金を出すスポンサーも何を考えているのかと疑問をもってしまう、今日のマスコミ。
もちろん素人のど自慢とか、クイズ番組とか・・それは視聴者参加でよいという番組も残ってはいるが・・。それとは違う、意味のない、やっているほうも見ているほうも緊張感のない、暇つぶしのような構成について、ほとほと残念と思うのである。
そんななか、地方局が面白いときがある。とことん地元にこだわり、愛着をもって作っていることが感じられるからだ。
メディアの役割について、真剣に考えるときがきている。真剣さが伝わる伝え手に共感したい!と思っている。
視聴者参加型?素人参加型?
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