ギフトのお返しは、お早目に。

主のいない家の整理を少しづつ進めているが、
やはりわが家の最高のお宝は、コンサート用のグランドピアノと木製アップライトのピアノ。そして、古くてもう弾けないが、当時最高クラスであったエレクトーン。
それ以上のものはない。
合わせたら、うん百万もしたこんな高価なものを、よく買い与え、演奏できるために多くのお金をつぎ込んだ両親。
幼き日々に、母が力強い声で、
「おまえには、よくつぎ込んだ」「お父さんの新車は全部楽器になった」
と言ってことを思い出す。
まさに、私に投資をしていたのだ。

若い頃は、そのことが不快なプレッシャーで、本当に嫌で逃げ出し、
その結果、その期待を裏切ることになったが、
今となっては、こんな素晴らしい贈り物が、この世の中のどこに
あるだろうか。と思えてくる。
残されたピアノに込められた、親たちの人生にかけた願いが、
今、改めて蘇る。
結果、親が願った道からは、大きく外れたが、今ふりかえると、
最高のギフトを親は与えてくれていたのだ。
それは、ピアノというハードではなく、カタチではなく、
そのために「一生懸命働いた」「一生懸命尽くした」という
見えない苦労である。
本当のお宝、最高のギフトは、楽器の存在から透けて見えてくる
この「親心」だ。
「音楽に出会わせてもらった、習わせてもらった」ことが、
一番の贈り物である。
今となれば、親の命を越えて、届けられたお宝である。

このことは、同じ音楽をやってきた仲間には通じる話題だ。
「お返しをしなくちゃね!」
高校の同級生と、そんな言葉を掛け合う。
そう、少しは返せたかなと思いつつも、もっともっとお返しを
しないと。
しかも、急がないともう時間がない。

ギフトのお返しは、早い方が良い。

こんな風に、
人生において、いろんな方から、いろんなギフトをいただく。
そのギフトによって、自分の人生が創られることに気づくのは
時間が経ってからだ。
でも、気づいたら お返しはお早目に。
キモチを届ける相手が元気なうちに・・・。



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