懺悔のゴミ出しと生きるコスト

ゴミの出し方、出せる曜日は自治体で異なるが、コロナの影響で
外食が減った分、家庭ごみの量は、増えているように思う。
相変わらずプラゴミも多い。エコバックが浸透したように、お惣菜の容器も
今後、リユースできる形態に変わらざるを得ないだろう。
昔、なべをもって豆腐を買いに行った・・。そんな時代が、正解だったのだ。

「もったいない!」この言葉を大切にしているはずなのに、
それでも、食べきれなかった、あるいは賞味期限がかなり過ぎても
そのままになっている食品・・・。正直、わが家の冷蔵庫のなかにあることが多い。
いただきものや、出張先でみつけたものや、いろんなものが入っている。

そして、久しぶりに冷蔵庫の中をチェックすると、
「あ~あ。」とため息が出ることがある。

もちろん食べられるものは食べるが、処分せねばならないものが
たまにある。もったいないことをしてしまったのだ。
そういうときに、大変申し訳ない気持ちとショックが入り混じる。
その商品をつくられた方、送ってくださった方への申し訳ない気持ち。
そして、せっかく働いて買ったのに、無駄にした。ということについての反省と自分へのくやしさ。無駄に捨てるための消費をするために、働いているんではないのに・・というくやしさだ。それが何十円分であっても・・だ。・

ごめんなさい。ごめんなさい。といいながら、後ろ髪をひかれる思いで
処分する。
美味しく食べるはずだったのに・・・。

ゴミを出す日が懺悔の日にならないように、こまめにチェックし、
また買い置きはあまりしないこと・・。
そしてそのたびそのたびで、使い切る習慣を。

まだまだ、私の場合、もったいない・・が中途半端だ。
モノを大切にする。ということについて、今一度よく考え、消費せねば。
このことは、生きるコストを真剣に考えるということになる。
そう、仕事の上だけでなく、このコストこそ、一生続く。
ゴミに謝りながら、人生の折り返しを真剣に考える。



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