海を越えたい、空を飛びたい。

NYのブロードウェイが1年半ぶりに再開したとのニュースに接する。やっとやっと、あのステージが戻ってきた。有名なロングランの作品がまず、上演再開となったようであるが、そのなかで、私が何度も何度も足を運んだCHICAGOもそのひとつ。
再開にあたって舞台裏と舞台、会場外の様子が短い時間であったが、ニュースで流れた。
あの懐かしい音楽とダンスが、演者と観客の熱狂のなかで、蘇った。
舞台下から眺め、大きな拍手をおくったあの歌手たちが、健在であったことを知ると心が震え始めた。
ステージと観客が一体となり、マスク越しの反応ではあったが、それはそれは
熱い様子が伝わり、こちらまで思いっきり泣けてきた。

それは、NYに活気が戻ってきてよかったということ、待ちに待ったステージが
再開されて良かったということ、そして、私も今すぐ飛んでいきたいのに行けないという悔しさと・・・。いろんな思いで、テレビの前で一人大泣きした。

同時多発テロから20年で世界は変わった。コロナで世界は変わった。
変わり続けるなか、やっぱりNYはいつものNYだ。

NYは、私のエネルギーの源泉のひとつ。
このままでは一生行けないのではと思うこともあったが、今は、何が何でも
もう一度、25歳で初めて訪れたときと同じように、NYに触れたい。
とにかく、全身で感動する、おもいっきり感じ合える。そんな経験が待ち遠しい。

今月の自分のミニコンサートもコロナで中止。
生の歓びを知るものにとっては、残念でならない。

ああ、感動したい。
ミュージカルだけでなく、クラシックコンサートも、アルゼンチンタンゴも・・・。
全身で感じることで、注入されるパワーがあるのだ。

これができなければ、死ぬわけにはいかない。
ネットではダメだ。
全身で思いっきり身を揺らし、拍手を思いっきりして・・・。
涙を流したい。

ああ、海を越えたい。
ああ、空が飛べたなら・・・。

と、そんな思いを抱きながら、
心は越境、空に夢を描きながら、前に進もう。



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