人間、生まれてくるときに、自分の意志はあるだろうか?
今、生まれたいです!ここで生まれたいです!
そんなことはなく、生まれてくる。
そして生きる。
そして、もう人生がまもなく終わろうとしているとき、
これまた自分の意志があるだろうか?
とくに食べる気力も失せ、体力も低下してきたとき、
自分がどうしたいかを考えたり、伝えることもできなくなる。
元気があるときは、
こんなことは嫌だ、こんなとこにいたくない!
と抵抗もできるが、そんな元気もなくなる・・・
自分で自分の判断が難しくなる。
その代わりに家族が判断をしなければならない。
最期をどのように迎えたらいいだろう。
いろんな選択肢がある。
でも、それも一長一短。
ある選択が失敗に終わることもあるかもしれない。
人生の最期の選択はとても重大だ。
久しぶりに、コロナで会えなかった父と直接会えた。
深刻だから、再会を許されたという皮肉さもある。
父の手を久しぶりに握る。あたたかい。
小さくなった父は、つぶらな目で私のことをずっと
見ている。
言葉はほとんど出ないが、何を言いたいのかを
心の声を聞こうと思った。
長居はできず、数分で退室。
施設の皆さんのおすすめ、また、ケアマネさんの
おすすめ・・・。いろんな選択肢のなかで、
父の最期をどうしてあげたら、一番いいのか。
自分で決められないから、家族が決める。
自然ではあるが、なんという重大責任か。
どれをとっても、どっちに進んでも、元気いっぱいに復活!
とはならないだろう。
最期に向かう選択だ。
自分が決断しなければならない。
命を預かったような気持ちにもなる。
責任重大だ。
じっとみつめられ、手をにぎる。
このことが、一番大切なことのように感じた数分。
まだまだコミュニケーションができる。
このことを、忘れてはいけない。
時間がない。しっかり責任を果たしていこうと思う。