9月7日は幼き日にとてもかわいがっていただいた、叔母ちゃんの命日であった。
その日のことは、ずっと覚えていたが、大人になって、ふるさとを離れて
お墓まいりに行かなくなっていた。
亡くなって時間が経つと、だんだんに人はあまりお参りをしなくなる。
そんなもんだと思うが、
そんななか、母はせっせと自転車でこの墓に通い続けていた。
誰も行かなくても、わしだけは行く!という使命感をもっていた。
このお墓は坂道の上にあるため、自転車で行くのは年々大変になっていた
だろうが、元気なうちは、そんなことを続けていた。
そんな母もいなくなり、命日だからといって、お墓に行く人はおそらく
ほとんどいない。
よく考えてみれば、私が小学校一年のときに亡くなっているのだ・・。
そうか。50年だ。そう、五十回忌ということになるのか。
そう思ったら、どうしても今日はお墓には行っておかねばと思った。
母の代わりに行かねばと思ったのだ。
そして、50年前、なくなる前日まで大変よくしていただいた叔母に
報告しておかなくちゃと思ったのだ。
何十年ぶりのお墓。
うっすらとある記憶だけで、また妹にその場所を聞いて、ひとりで向かう。
このあたりだったような・・・。すぐみつかった。
子どもの頃にお参りしたお墓は随分と古くなっていた。
でも、そこに確かにあった。
花を供えて、おばさんに挨拶をしながら、手を合わせる。
五十年前、30代で逝ったおばちゃん。
本当に好きだった。怖い母と対照的でやさしかった。
ここの娘だったらよかったと、幼心に思ったこともあった。
おばちゃん、おかあさんも、そっちへ行ったよ。
そんな言葉を投げかけ、
50年前の自分の子供の頃をありありと思い出す。
何十年経っても、いくつになっても、こちらが覚えているうちは
相手も自分の中に生きている。
しばらく忘れていたくせに、この記念日のおかげで、
改めて思い出した。
故人に会うということは、その時の自分にも会うということにもなる。
そう、その当時の自分との対話でもある。
そういえば、おばちゃんが亡くなる前の日。町で市が立つ日曜だった。
昭和45年。
そこに連れていってくれて、買ってくれたのが、ディズニーの腕時計に、
ひみつのあっこちゃんの鏡。おばちゃんは憧れのものを、親が買って
くれないものを私に買ってくれる、まさにひみつのあっこちゃんの
鏡のような存在だった・・・そんなことも思い出す。
そして、その帰りに寄った叔母宅で、いつもの、
しょうゆ味だけの玉子焼きを焼いてくれたのがごちそう。
それが、最後の晩餐になろうとは・・・。
と、そんなことをくっきりと思い出した。
50年前の私は、50年後の私を想像していただろうか?
それはない。でも間違いなく、ずっとずっと何かにつながって生きているのだ。
優しかったおばちゃんのことを思い出し、
若くして亡くなる人生についても、考えさせられる。
おばちゃん、おかあさんをよろしくね。と言いながら、母が自転車をひいて
下った坂をひとり、降りた。