かくれキリシタンの村として今もその歴史を守り、静かに祈りをささげる人々が住まう長崎の外海地方。そこから弾圧を逃れるため、五島に渡った人々も多いらしい。このところ、ザビエルプロジェクトの流れで、長崎とキリスト教の歴史にも興味が高まり、昔は読まなかった遠藤周作の歴史小説も読み、文学館がその外海にあると知り、念願の訪問を果たした。長崎市のにぎやかな異国情緒とは違う
静かな信仰の力を内側から感じとれる不思議な町・・。キリスト教解禁になるまで、そしてその時期がきても、自らの信仰を目立たぬように、ただただ静かに祈り生きてきた人々たち、その子孫がそこに今も住んでいる。明治時代、宣教師としてフランスからやってきたド・ロ神父は布教活動のため印刷を持ち込み、さらにはこの外海地方に住み、地元の人々のために尽力し、今も「ド・ロ様」と地元の方々に尊敬され続けている。この神父は自らの私財を注ぎ、故郷のフランスからさまざまな道具や器械を持ち込み、人々の生活を支え、そして信仰をもちながら、きちんと仕事をし自立をする女性の教育にも早くから着手されていたそうだ。そこでパスタ・マカロニなどをこの地で作り、長崎に住む外国人たちに販売をしていたらしい。その活動拠点であった建物が今、神父の遺品や資料とともに文化財として大切に保存、展示しているが、そこでみつけた一台の古いオルガン。日本の教会では見ることはできない、アンティークなオルガン。話を聞くと、フランス製。そう、神父のふるさとの生まれ。シスターが解説をしながらそのオルガンを弾かれた。なんという音色かと感動。足踏みをしながら丁寧に弾く。祈りを込めながら弾く讃美歌は静かに心に染み入る。ピアノとは違う。天上の音色のようなやさしさがある。
それは、ボタン一個で単音弾くだけでも和音になり、またボタン一つで転調もできてしまうというものすごいハイテクでもあり、それにも驚く。こういったものに影響を受け、のち電子オルガンも誕生していったのだろうが、とにかく素朴すぎて心汚れては聴いていられない程の音色だ。日本にキリスト教を伝えるためにフランスから海を渡ってきた、一台のオルガン。思わずどうしても弾きたくなって、シスターにお願いする。「どうぞどうぞ」。貴重なそのオルガンを弾かせていただく。左右のペダルをせっせと踏んで、和音を重ねる。子供のころにはじめて弾いたオルガンを思い出し、いや、そのルーツに出会い、ザビエルのおかげで今、楽器が弾けているのだと改めて感動もし、師の功績に感謝する。
「ああ、弾ける人に弾いていただきド・ロ様もお喜びです」とシスター。静かな村に存続するオルガン。やさしく穏やかに説明をされたシスターの表情とその柔らかな音色が心の中で静かに響き渡っている。この村に、また戻ってきそうな・・。遠藤周作が何度もここを訪れていた理由がなんとなく少しづつ、だんだんとわかってきたような。
おフランスの古いオルガンの調べ。
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