さまざまな祈り、8月15日。

8月15日。昨日は、母の初盆の供養に出かけた。
お世話になっているご近所のお寺さんでお世話になった。
初盆だから・・と言われ、あまり実感がないまま、そういうものかと
お墓にほ最近になってほおづきや、蓮を飾りに行ったり、はじめてのこと続き。
岐阜のお墓って、お盆ってこうなんだ。と周囲のお墓の提灯などを見て、改めて知ったり、幼いころにいた情景を思い出したり・・・。
お盆とは、古くは7世紀にははじまっていたようで、それでも庶民の行事になったのは江戸時代かららしい・・。ずいぶん歴史があるのだと驚く。
子どものころから、年末年始と対比して、夏休みの代名詞となっていたお盆の
意味は、身近に故人がいることで、初めて現実のものとして理解される。

納骨を経て、母の存在をこれまでと違った感じで受け止められるようになったのか、涙はなく、静かに母を思いながら、手を合わせていた。
むしろ、母と大変仲良しでいてくださった、私の幼稚園から中学校までの同級生のお母さまが、この日もわざわざ同席いただいたことがうれしく、
命絶えても、こうして一緒に祈っていただける人がいることに、しみじみ感謝の念が湧いた。
「もう、電話してくる人もいないで、電話賃かからんわ」
冗談交じりにそんなことを言われる。電話する人がいないので、寂しい気持ちの裏返しの言葉だ。
母の人生を今一度思い、そして、改めて、静かに想う。
いつも一緒にいる気持ちが強いので、あちらの世界に行ったとは、実は思っていないので、母へは送り火という発想もあまりないのであるが、ただただ、ありがとう、ありがとう。という気持ち。

一方、8月15日は終戦記念日。
お盆とこの日が重なっているのも、偶然と思えないほどの特別な感じがする。
家族を戦争でなくされた方は、毎年この日をどんな思いでお迎えになることか。
そして、もう、といっていいかわからないが、76年の歳月が経過。れでも家族への思いは消えず、複雑な思いがこみ上げておられることと思う。でも、そのご家族ももう高齢だ。この思いを、お盆と言う行事がこれからも繋いでいってくれるだろうか。
それぞれの祈りの8月15日。
日本人にとっては、大変特別な日。そして、今年は、私にとっても、心新たに
大切は人を想う1日となった。
大雨で亡くなった方もおられる。
心よりお悔やみを申し上げたい。
今日は、京の五山送り火。
近くにいけないが、こちらから静かに先人たちのことを思っていたい。

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