外国のそれなりのステージでのスピーチ。内外からいろんな意味で注目を集める。だからこそ、やるのだろう。おそらく相手から求めたのではなく、こちらからスピーチさせてほしい!というアクションがあったのではと勝手に深読みする。相手にはその必然性はないはずだから、自作自演のドラマのようだ。
さて、それはそれでよしとして、スピーチというものについて考える。まずは何を目的として行うのかを注視したい。
何らかの意味を伝えようとしているのか?あるいは想いを伝えたいのか?はたまた、自分という存在~プレゼンス~をアピールしたいのか。
そのひとつか、全部なのかもしれない。そして大切なことは、結果、相手が心から感動したかどうか?である。
私はそれを一部、見聞きしても感動しなかった。それで?という感じすらしてしまった。何なんだろう。そもそも、なんでそこで今それをする必要があるのか・・というそもそもの理由についても賛同していないということもあるのだと思うが・・。
いかにもアメリカ風の、アメリカ人好みのスピーチ。身振り手振りを使い、抑揚あり。パフォーマンス型のスピーチ。まさに劇場だ。
でも、原稿を読んでいるだけだ。心からの言葉ではない。もちろんスピーチライターが書いているのであろうが、心に響く言葉には重さがあるが、ふわふわな軽い感じだ。使っている言葉がどれも借り物的な印象を抱いてしまう。結局、何を伝えたいのだろう?この人は??
海外でそれまで名前も憶えていなかったような人たちに、拍手をされても、自国の人がそのことに賛同していなければ、意味がないのでは。
意味を伝える、思いを伝える、存在を伝える。
話すための準備もいいが、うわべの準備ではなく、その行動を自国の民が心から尊敬することにならないと・・・。
最近、このような劇場もどきのパフォーマンスをいろいろ垣間見るにつれ、日本という国がバラバラになっていくような気がしている。
と、スピーチひとつとっても、真の伝わる、コミュニケーションのあり方について学ばせていただくことが多い最近の政治劇場。
意味?想い?存在?の何を伝えるか?スピーチの目的
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