涙がたまって、思い出になる。

お盆の週を迎えた。
各地でさまざまな行事が行われる。とはいっても、コロナ禍で、いろんなことが
ソーシャルディスタンス、三密を避けて・・・。
本当は長崎の精霊流しも、京都の五山の送り火も、駆けつけたいが、今年は
お預け。何より今回は、母の初盆となる。
といっても、大したことはできないが、毎日一緒にいるような感覚で過ごすようにしているので、猛暑の今日、赦してくれるだろう。

毎日一緒にいるような感覚で・・。
と言っても、やはりまだ慣れない感じは残っているし、
ある日突然、「あれ?いないんだ・・・」と、果てしない不安というか
哀しみがわいてくることがあり、涙があふれそうになることもある。
でも、もうその回数は減っている。
気持ちが薄らいだわけではない。人様によると、日にち薬だともいわれる。
その気持ちに慣れてくるということもあるのだろう。

最近思うこと。
涙は確かにだんだん出なくなる。
泣かなくなるのだ。
泣きたいときは、涙が心の海に流れていって、
たまってたまって「思い出」になるのだ。
最初は、思い出すから泣いていたのに、
今度は、素敵な思い出に昇華していくのだ。
そう、時間ごとにそうなっていくのだ。
考えようによっては、素敵なことだ。
新たな永遠の存在になっていくのだ。

母との思い出は・・・。
無数にある。
毎日その思い出とともに、生きることになる。

一緒に在る。ということで、悲しみを越えて生きる。
初盆。
ほおづきを買った。涙のカタチに似ているような・・。

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