普段、コミュニケーションの大切さをお伝えするときには、多くは発信する側の立場の話が多い。プレゼンの話にせよ、発表にせよ、とにかく自分が伝えたいことを、どうしたら伝わるか・・。という話が多い。
一方、それを見る、聞くといった受け手の姿勢も大切で、コミュニケーションとはまさに、この両者がうまく交わることで、より良い関係を育むことができる。
コミュニケーションが好きな人は、話すことが好きな人、いろんなことに興味がある人。そして、その楽しいコミュニケーションを続けるには、健康が前提であることに最近、気づかされることが多い。
とても快活で、元気いっぱいで、周囲を喜ばせることが大好きな、そんな知人がいる。
話すときもはっきりした声で、聴きとりやすい。
その方と久しぶりにお会いした。
すると、どうやら聴覚が最近不調のようで、人の話す声が聴こえなくなったという。
話すのが好きなのに、相手の反応が聴こえないというのは、とても困る。
会話がつながらない、キャッチボールができないので、コミュニケーションの良さを知っているだけに、不便を感じ、だんだん話すのが嫌になるとのこと。
聞こえないということは、本当に苦痛だと・・。
「今は、補聴器もいいのが出ているみたいですから、トライしてはどうですか?メガネと思えば大丈夫ですよ」とおすすめする。今回は、密になってはいけないと思いつつ、ついつい、その方の耳元まで近寄って言葉をかけたり、最後は筆談もした。
「そうですね。聞こえた方がいいですしね」
そう言いながら、別れる瞬間まで明るく、元気に会話しながら、手を振った。
年を重ねると、いろんなことが起きる。原因はいろいろあれど、とにかく
昨日まで当たり前だったことが、そうではないと気づかされることが多くなる。
私も、他人ごとではないと思う。
聴覚。そこでベートーベンを思い出す。
聞こえない世界で、また治療方法も確立されていないその時代、本当に不便で不快で、不安な日々を送りながら、そのつらさを作曲に向けたのかもしれない。
聞こえない世界。見えない世界。言えない世界。
これらの障害は自分の世界を閉ざしてしまう。
コミュニケーションが難しくなると孤独になる。
どんなにストレスを抱えていただろう、そんななかで、数々の名作を生み続けたベートーベンに頭が下がる。さぞかし、つらかった。そんなもんじゃなかったのだろう・・。
五体満足であることを当たり前と思わず、健康であることに感謝して、より一層の努力をせねば・・と思えてくる。
生きているうちは、元気にコミュニケーションしたい。
だから、必要に応じて、いろんなサポートを活用すればよい。
そうそう、あんなに抵抗があった老眼鏡。今は普通に持ち歩いているではないか。
背に腹は代えられない。
今、聞こえる今、しっかりその喜びを感じておこう。
当たり前の世界は、永遠ではない。
コミュニケーションなしでは生きられない。
改めて自覚し、今日も笑顔でハッピーコミュニケーションを!