母の墓参りは、日課とまではいかないが、週に何度か足を運び、
「暑くなってきたわ~」とか、勝手に母に話しかけている。
そのとき、必ず花を持って行く。
当初は生花を持って行ったが、とくにこの暑さではまたたくまに枯れてしまい、
頻繁に行けない身としては、枯れた花が飾ってあるのは、どうも
良くない。と思うようになった。
周囲のお墓を見ても、枯れた花だけが残っている風景を見ると
なんともさびれた感じがして、気持ちも陰鬱になる。
さらに、何年か前に、新潟の企業さんで、そこに着眼して、商品開発している
ケースがあったことも思い出す。お墓のお花は、生がいいけど、無理な場合は・・。
そんなことで、あれこれ探して、
生花に見える、超リアルにつくってある造花をみつけ、
それを選んでもっていくことにした。
いかにも造花ではなく、カタチも色もその存在感自体が、生花に
近いのだ。
生花じゃなくても、花と言うカタチならば、なんでも歓迎だった母。
こんな思い出がある。
実家の玄関。下駄箱の上に飾ってあった造花の枝と花が、たまたま
玄関の戸を開閉したときに、挟まれていた。
それを見て、母が
「あ、花が、戸に挟まっている。取って。花が痛い、痛いと言っているから」
と、そんなことを言ったので、びっくりして、思わず、戸を締め直し、花を救出したこと。母は安堵した顔をしていた。そのときの様子が今も新しい。
造花でも、痛いと思うんだ。
造花も生きている。母の感覚で言うとそういうことだ。
生でも造花でも、もちろんプリザーブドでも、すべて花である。
花はすべて命がある。
母にとっては、そういうことだったのだろう。
もちろん生花が可能なときは、それを持参するが、とくに頻繁にいけない
お墓には、造花できれいに飾る。
遠くからみて元気が出る。誰のお墓かわかるぐらいに・・・。
昨日は、ひまわりとラベンダーを指してきた。
この暑い中、お墓に来られる皆さんが元気になれば…と思っている。
造花とは、まさにこういうときにも役に立つ。
母に捧げる花探しは、いつの間にか、最近の楽しみにもなってきている。