もうひとりの自分を生きる愉しみをもつ。

コロナの影響もあり、ステイホームの休日を過ごすなか、楽しみのひとつは映画や読書・・。と言う人も多いのではないだろうか?
テレビ番組で放映されたものを録画しておく、あるいは最近では専用のチャンネルも養父にあり、例のAmazonでは会員向けにかなり豊富なコンテンツを提供してくれる。ここの利用者が多いのは、このサービスの存在も大きく寄与しているのではと思うほどに、おかげで自宅で気軽に映画を楽しめるようになった。
新作も良いけれど、むしろ学生のときに読んだ小説、あるいは文学の講義に登場した映画作品など、今、改めて試聴したいものは数限りなくある。
20代のときに触れたものが、今観たらどう感じるか?は重要だ。
たまたま、フィッツジェラルドの「華麗なるギャッツビー」のタイトルをみつけ、学生時代の講義での話題を思い出し、映画を観始める。
100年前の世界恐慌前のバブルなNYを描いた作品。ストーリーはここでは触れないが、学生の頃に、この主人公の成り上がり的な生き様に興味を抱いたことや、アメリカンドリームの果て、現代社会の病みについて思いを巡らせたことなどを思い出す。
100年前はインターネットもなかった。電話のみ。そのやりとりが今となってはとても新鮮だ。電話を待つ。固定電話時代のコミュニケーションが懐かしい。
豊かで、華やかな時代が描かれている。

映画は、いつでも世界・時間旅行ができる。
スクリーン(今はモニターか)を見ているだけで、その世界に行った気分に、その時代を生きた気分に、そう、もうひとりの自分になったような気持ちになれる。本当に素晴らしい芸術だ。
表現の技術も日進月歩であるが、私にとっては、先進技術よりも20世紀後半の映画ぐらいがちょうどいい。その時代を楽しみたいのだ。

小学生の頃、夜9時以降の番組は見せてもらえなかったことも今は懐かしい。
淀川長治さん、水野春郎さん、萩昌弘さん、小森和子さん、おすぎとピーコさん・・・。映画全盛時代、素晴らしい伝え手がいた。
こういった方々たちが、日本人を西洋文化に導いてくれたといえる。

老後の楽しみ・・。といっては早すぎるかもしれないが、
映画をいっぱい観て、ピアノを弾いて、歌を歌って、好きな画集を見て、本を読んで・・・。夢が広がる。すべてインドアでできることだ。
そのなかでも、映画はもっとも贅沢な文化活動かもしれない。
しかも、夏は、映画を楽しむのに最適だ。
それにしても、デカプリオが演じたギャッツビーは最高であった。
次は原作を読み返すとしよう。
映画でもうひとつの人生にふれ、考える。まさに、これは宝の時間だ。

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