コロナのおかげで、海外渡航が難しくなったこの一年半。
初めてNYに行った25歳のときの興奮、パリの裏路地を歩きながら、
シャンソンを口ずさみ、大観覧車を見て、人生のコンセプトについて考えた日々。ああ、地球の反対側に来てしまったと思いながら、バンドネオンの音色に感動し、同じピアニストを目指すなら、タンゴのピアニストがいいのではと思ったブエノスアイレスでの日々・・・。一方、台湾や香港といったアジアの町の活気も蘇り、すぐ近くなのに、仲間に会いに行けなない。元気にしているだろうか?と思いが募る日々・・・。
自分の人生の半分は、外での刺激があって成り立っていたところもある。
仕入れといえば、「外」との接点と交流。そこから、新しい発想を得て、行動に活かしてきた。自分と異なる背景をもつ人々との出会いこそが、世界で生きることだと実感してきたが、そんなわくわくは、すでに昔のことになりつつある・・。
動くことができない今、写真、映画、音楽などを通じて、あのときの感動を
忘れないように努力している。
まもなく9月11日が来れば、あの日から20年。
何もなければ、すっとNYに出向いているのに、このままでは、今年もNYには
行けないままだ・・。
毎日一生懸命生きて、すべきことをするけれど、しているつもりではあるけれど、いつ死んでも悔いはないと思ってはいるけれど、
やはり、やはりNYにも、パリにも、ボンにも、ブエノスアイレスにも、リスボンにももう一度行きたいし、
まだ訪ねていないザビエル、ショパンのふるさとに足を踏み入れたい。
このままでは、死にたくない。
ここだけは明白だ。
私に感動を与えてくれている人達とのつながりを、直に感じたいのだ。
オンラインのなかで暮らしていると、よりリアルな世界に身を置きたくなる。
自らの五感で感じ取りたい。
そのために、ワクチンはやむなしか・・。
今は、さまざまな過去の映画やドキュメンタリーのなかで、自分の想像をかきたてている。こういった素材が豊富にあることには、心から感謝である。
でも、
リアルがいいに決まっている。
リアルに生きたい、リアルに行きたい。
リアルに触れたい。リアルな感動を得たい。
今、我慢を重ねてきた
世界の人たちがうずうずしている。
とすると、無観客のオリンピックって???
1日も早く、愛しい町に足を再び、踏み入れたい。
そのときの感動を想像しながら、その日を楽しみに
今日を大切に生きよう。