生きていくということは、誰かが喜んだり、幸せに思ってくれることと同義だと思う。そうありたいと思う。
相手が喜んでくれたり、幸せと感じてくれると、こちらまで同じ気持ちになれる。
自分だけが嬉しい、自分だけが喜ぶということでは、本当の意味で生きている
ということにならない・・・と思える。
だから、生きるということは誰かとともにある、生きるということだ。
人間、もともとは孤独な存在であるが、
その孤独な存在が、生き方や生き様で、いかようにも変化、成長できるのだと思う。
ということで、母が一番楽しみにしていた、私のふるさとでの演奏活動。
母がいなければ、できない。
母がいないから、終わり。
では意味がない。
母が喜ぶことを続けることが、私のこれからの人生には大変重要だ。
そして、何よりも「楽しみにしています!」と待ってくださっている方に
喜んでいただくことが、私にとって大切だ。
今日は岐阜新聞でのコンサート。
母が丸まった背中で、杖をつきながら、お友達とやってきて、見学した1月から半年。母がいないこの会場での演奏は、ほとんど記憶がない。
もう5年になろうか、この活動をとにかく続けてきた。
「これは続けてな。ずっと続けてな。」
と母が願っていると思い、いつもどおりにやる。
お客様が喜んでくだされば、母も喜ぶ。すると私もうれしい。
喜びの連鎖をつくること。
まさに、これも観覧車のように。
おいでいただけるお客様に喜んでもらう。
間の前にいるお客様に喜んでもらう。
どんな仕事をするときも、どんな活動をするときも。
毎日同じ意識、姿勢で。
それが、私の「今日も生きる。」ということ。