九州の大雨が大変心配だ。
先週、熱海で土石流の被害があったばかり・・・。
毎年ではなく、毎月、毎週、毎日・・・。
世界の、日本のどこかで、
自然災害が続いて、被災されている方がおられるという現実。
ある日、突然命を、大切な家族を、家を・・失くしてしまうなんて
考えたくないが、誰にも起きうることであると覚悟を求められる今日。
自然災害だけでなく、内紛、貧困・・・。
世界では、生きること自体が難しい環境で、闘っている人が多くいる。
一方、平和の祭典といいながら、無理やりオリンピック開催に向けて
進む準備と、コロナ感染拡大の危険。
そこに巻き込まれて、被害を受ける人々・・・。
ここでも、生きることが難しくなっている人たちが増え続けている。
という悲しい現実。
とにかく世界では同時多発的に多くのアクシデント、災難が起きている。
今、日本で起きていることを俯瞰してみたら、滑稽であり、あまりに悲劇的だ。
場当たり的で、熟慮のない、意味のないこと、人が喜ばないことを実行。
俯瞰してみてみれば、そのことは真の平和にならないことがわかるはず。
コロナが感染拡大していながらも、オリンピックを断行する。
この現象を俯瞰して見続ける。
目の前のことだけでなく、日本全体から、世界から見て、これはどうなんだ、
という目線が当事者たちにあれば、さまざまな判断も変わったのかもしれない。
もう2週間後に迫るオリンピック。
それまでにも、そのときにも、その後も、きっと予想を超える、何かしらのアクシデントは続くだろう。
局地的、今さえよければ。この積み重ねが、悲しい結果を導き出す。
いつも、俯瞰する習慣をもちたい。
自分の立ち位置も、自分に与えられた役割も。
どんな小さな存在でも、俯瞰すると、前を見る自分とは違う、もう一人の自分が見えてくるはず。
そんなことを思っていると、
立花隆さんが、生涯にわたって探求された、
「自分は、どこからきてどこへいくのか。」
この問題意識が浮かんでくる。
俯瞰しないと、その答えには近づけない。
そんなことを思いながら、今起きているさまざまな事象をしっかりとらえ、
心寄せるべきことに、心寄せていきたい。
こんなに騒いでいる、祭典もあっという間に終わるだろう。
そのときに、日本が恥ずかしくない国になっていないことを願う。
そして、それ以上に、
九州での大雨の被害が、広がらないことを心から祈っている。