母が亡くなってから、よく花を買うようになった。
週に2、3回は、花屋に行くようになった。
この3か月間で、わが暮らしに加わった新たな習慣。
最初は、お寺に届けるために選んでいた。
母が好きだった紫の花を中心に選んでいた。
でも、紫の花は種類が少なく、だんだんそれ以外も選ぶようになった。
「今日は何にしようかな」
こんなひとときが、哀しみを紛らせてくれた気がする。
納骨を済ませてからは、
お墓に花をもっていくようになる。
毎日行けないため、生花に見える造花も飾りつつ、
ワンポイントで生花を添える。
最近、気に入っているのはバラの花束。
高価なものではなく、5本セットのおすすめ品。
それを好んで求めるようになった。
バラといってもいろんな色がある。
ピンク、少し紫がかったピンク、オレンジ、深紅・・・。
紫のバラはあまりに高いので、普段使いにはできない。
店頭に出ているブーケの中で、選ぶ。
「今日は、何色にしようか」
こんなことが、ささやかな楽しみになってきた。
その5本のバラ。
2本はお墓、1本は実家の仏壇。あと2本はそのまま自宅に
持ちかえって飾って眺める。
もしくは、道中で母がお世話になった近所の方に会えば
そのまま差し上げることもある。
お墓のバラ。自宅のバラ。
ドライフラワーにできそうなものは、そのまま部屋に吊るして乾かす。
母が最後住んでいた部屋にも、ドライフラワーが増えてきた。
そういえば、生前も、いつも花を届けていたことを思い出す。
どんなに喧嘩をしていても、食卓に1輪の花があることで、
心が通っていたように思う。
そんなことをしばし、忘れていたが、今、同じようなことをしている
自分がいる。
ブーケをシェアする。
繋がっていたい人と、分け合う。
「きれいやな」
そんな言葉が聴こえてくる。
哀しみは時間とともに、新たなコミュニケーションとともに
薄らいだり、やわらいだりしていくのだろう。
ちょっといい発見をした気持ちになっている。