残った者が生きる。

母が親しくしてもらった方たちは、20代から90代と幅広い。
とくに同世代、年長の方にとって、母の旅立ちは、本当に寂しいようだ。
今も日々の会話で、母の話題が出たよと、よく電話やメールをいただく。
お墓にお参りいただく人もあり、ありがたい限り。
残った人にとって、大切な人、親しんだ人が日常から消えるというのは
なかなか・・・言葉に表しづらい。

そんななか、93歳のおばあさま。母の親友というか、母が母親のように慕っていた方だ。そして、私からすると高校の先輩。半世紀ほど前の大先輩だ。
その方、母が亡くなってから元気がない。
気になって何度か足を運んで、顔を見て、声をかけたり、電話をしたり
していたが、2~3週間間が空いた。
あれこれ、報告もせねば・・と久しぶりに電話をかけると、
いつもどおり、仕事場にはおられるようであるが、声が消えかかっている。
どうしたんだろう?
どうやら、さらに最近・・悲しいことが続いたようで、
こんなに年寄りが長生きして・・・と電話口で 力抜けた感じが伝わる。
「〇〇さん、元気に生きてくれんとダメですよ。」
元気を伝えたくて、電話を切ってから、
そのおばあさまが今も電話番をする会社まで急いで出向く。
少しでも元気になってほしい、何かないか?何かないか?と、
母の遺品の一部をもって、花をもって、お菓子も・・・。
とにかく元気に。笑って生きてほしいのだ。

母の代わりにはなれないけれど、
私だって90歳のおばあさんと何時間でも話せる。
とにかく激励をする。
最初、力抜けていたその方、みるみる笑顔になって、頑張って生きるわ!と
応えてくれる。
「残っているというのは、長生きするというのはそういう運命やな。
そう思って元気に生きなあかんな。」
そのように、普段の元気印に戻り、私が持って行ったものを楽しく見て、
そして母の写真をみつめる。
「そうや、母の分までお願いしますよ。また来るから」
そういって元気いっぱい何度も何度も手をふって、おいとました。

元気に長生きされている方を応援しよう、激励しよう。
だんだん孤独になっていかれるから。
元気というのは、ひとりではなれないこともある。
残った者が、生きる。
それが宿命。

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