先人。自分より先に人生を歩まれた方々は、すべて先人。
その人たち全員と会うことは到底できないが、直接会う人、作品で会う人、いずれにせよ、自分の意識次第で、多くの先人の人生に触れることは可能だ。
そして彼、彼女たちの生きた道から、自分の進む道のりへのヒントになることをいただくことができる。なんとありがたいことだ。
今は、さまざまな媒体がある。それを通じて、今は空にいる先人たちに会うことができるのだ。
そう思うと、世の中には生の教材が溢れている。
私にとって、長崎は 自分にとっての良き先人が多くみつかる場所である。
だから、いつの間にか心のふるさとになっている。
たとえば、隠れキリシタンの里として、その祈りを守った長崎の辺境の地を明治時代後、この地を開墾、自立の町へと導き、その仕事に生涯を支えた、フランス人 ド・ロ神父。この方は、明治時代、信徒発見で知られるプチジャン神父から招かれ、訪日、なんと印刷をはじめて手掛け、布教活動を推進した人であり、医師であり、建築家であり、事業者・・・。マルチタレントな宗教者である。
彼がフランスから取り寄せてくれた、オルガン。これがこの地に今も大切に存在しているが、このド・ロさんは、今やフランシスコ・ザビエルに続く、私にとって興味ある人物。生きざまがヒントになっている。
そして、遠藤周作。こちらも長崎出身ではないが、創作活動に長崎の歴史、宗教的背景、文化は多くの影響をもたらしたようだ。
と、キリスト教を主題とした純文学・歴史文学のイメージが強い面があるこの作家、実は人生の先輩としても
わかりやすく、参考になるエッセイ・言葉を多く残されている。
最近、気に入っている言葉は「人生には、無駄なことはひとつもない」ということ、そして、「生活と人生の違い」ということ。
遠藤周作文学館の20周年記念事業のチラシにある言葉を借りると
このようにある。
「不幸があるから、我々は、生活ではなく、人生を考えるのだ」
生活の挫折は、人生の糧にすることができる
かなり、うまく、生きた
人生の夕映え
老いてからの楽しみがなくてはならない
マイナスをプラスに。
・・・・・
なんと安心して元気が湧く言葉かと思えてくる。
自分にとって素敵な先人をみつけ、そこからヒントをいただき
前進しよう。
常にそこに目を向けること。
学びながら生きる。
人はそれができる。
ありがたい1週間が、またはじまる。