ボーダーレス。垣根のない世界。広がりと受け入れのある関係が好きだ。
国籍、職業、年齢、性差、あらゆる環境の差、信仰・・・。一人の人間には多くの属性があるが、そのことで制限をかけるのではなく、それを越えて、それも含めて、その人をトータルに理解し合うことがいいと思っている。
社長だから、主婦だから、〇〇人だから、障がい者だから・・などなど、そういう括りは、ときに必要ない。もちろん大切にしなければならないときもある。
いずれにせよ、最後は「人」と「人」。
社長だから偉いということでもなく、ピアニストだから感動的というわけでもない。一いろんな属性をあわせもっている、ひとりの人。そこに目を向けたい。
最近、檀家とかそういう括りは別として、母の死をきっかけに、お寺の方とのやりとりが続いている。ちょっと最初とまどいもあったが、いろんな会話を重ね、今は宗教を越えてお互いを理解できる、そんないい感じになってきている。
そして一人の人として、自然な会話ができ、またお互いに学びをいただいている。そんな会話のなかで、
「寄り添うってどういうこと?」
と聞かれた。地域の方に寄り添う活動をされているお寺の坊守さんにだ。
「寄り添うというのは、対面という感じでなく、並んで座って、同じ方向を見てるという、そんなイメージでしょうかね?私はそんな風に感じています。」
とっさにうまく答えることができなかったかもしれないが、寄り添うという言葉ひとつとっても、いいキャッチボールができることに意義を感じた。
また、母のことを、仏教だけでなく、長崎の教会のシスターが、信徒でもない私のために母への祈りを捧げてくださった話についても打ち明けることができた。
「いろんな人にお参りしてもらえる、祈ってもらえるということは幸せですね」
と、お寺の方が言ってくださったことが、とてもありがたかった。
これしかダメ、ではない会話がつながりを強くする。
越境。
自分の人生はそれをしながら、心の観覧車を回すこと。
改めて、その想いを強くしている。
越境の観覧車的生き方。
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