次から次へと。それが生きるということ。

母の納骨まで、もうしばらくの間・・・。というこのタイミングで、
なんと、次は父のことに追われ始めている。
食欲が低下しているとのこと。
このままでは・・という状況だと、主治医からも告げられ、人生は本当に
ドラマみたい、ドラマ以上だとこの重い現実を、不思議な感覚で受けとめている。

食事がとれない。
生きるとは食べること。

それができないとは・・。

どうするか?いろんな選択のなか、父の人生を考えてみる。
何が幸せなんだろう。

そう考えながら、さまざまな選択について、きちんと判断せねばと思う。
まさか、今、父にこんなことがふりかかるとは・・・。

次から次へと本当に事件がおこる。
生きている証拠か。
それにしても。

医療、介護それぞれの視点から、
病院や施設、それぞれの受け入れ体制。
このことを頭に入れつつ、
そして一番大切なのは、
「本人と家族の想い。」と、信頼できるケアマネが教えてくれた。

これこそ、延命か自然に任せるのか。
今、自分の人生ではなく、親の人生を背負っているような
気持になっている。

よく考え、悔いのない判断を。
コロナのせいで、とは言いたくないが、
人生の終わり方が平常時とは違ってしまうケースのひとつだ。

父と話したい。
父の想いを改めて確認したい。
きっとそうだろうという答えはあるけれど、
ここは、父に確認したい。

それにしても、次から次へと。
まさに、生きているという感じがしている。
意味がある時間だと思っている。



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