夢を小分けにして。

以前、仕事で初めて会った方に、
「今尾さんの夢は何ですか?」
と、尋ねられ、言葉に詰まったことがあった。
その時のことを、ふと思い出す。

この答えにより、私という人間をより知りたいという意図の問いかけで
あったと思うが、そんなに相手にいえるほど、かっこいい回答がすぐに出てこなかったのだ。
また、それには「わあ、素敵な夢ですね~。」
と、期待される答えがあるような気がして、それに見合う言葉が浮かばなかったのと、
夢といっても、人それぞれに解釈が違い、もしかしたら求める次元も異なる
ので、知らない相手への即答は難しかった。
「いやー、うーん、どうかな。難しいですね。」と笑ってごまかしていたように思う。

夢・・・。こうなりたい。こんなことをしたい。こんな人になりたい。
現実と違う、現実を越えた、目指すこと。を夢というのだろう。
子どもの頃の夢。
これも正直、あまり考えていたわけではない。
ピアノは気づいたらやっていたし、それでピアニストになろうと思ったことも
なかった。やらされていたわけでもないが、常に目の前のことを一生懸命やってきただけだ。
プロの野球選手を目指して、ただそれだけを極めてきた・・・といった
たとえば、イチローさんのような生き方とも違う。
もちろん、自分は何に向いているか・・ということには、とても興味があり、中学生の頃だったか、学校でやった職業の適正テストの結果が、芸術家、宗教家、政治家、哲学者、教師であったことはうれしかった記憶がある。「そう、そう」と思っていた。芸術家という項目がはまっていたことが嬉しかったのだろう。(結局、手先は不器用、まったく理系でないという証しでもあるが)
でも、それになりたい!と一心不乱にその道に向かったわけでもなかった。

むしろ、これは違う。と思うことを避けてきたというのが生き方だったのかもしれない。
その都度その都度の人生の分かれ道で、小さな決断をしてきただけ。
これは違うな、こっちがいいかな。との選択を繰り返してきただけ。
振り返れば、これまでの自分の軌跡が、夢に向かってきたかといえば、そんなこともない。

大げさに、夢を掲げたことはなかったのだ。
現実を生きる、目の前を生きるのが精いっぱいであった。
もっと大きく夢を子どもの頃から掲げていたら、きっと違う人生になっていた。

と、夢には、無頓着、無反応に生きてきた自分であるが、
人生がすでに折り返し地点を過ぎた今、改めて考える。

どんな風に一生を終えるのか。
そのときに悔いを残さずにいること。

これが今の自分の夢。
そのために、したいこと、思うことがあれば、どんどんやり続ける。

具体的には、もしも、80歳まで生きてしまうならば
そのときに、ショパンを笑顔で弾ける。
そんな自分でいたい。
おしゃれを欠かさない人でいたい。

こんなことは、小さな夢といえば、小さな夢。
それでいい。
社会の役に立つ人になる。
と、大きく掲げるだけが夢ではない。
自分が素敵、自分がかっこいい。という方向に
そして、オンリーワンであること。

要は、最後どう人生を結びたいか。
ここに尽きる。

とここまで書いて、改めて。

自分の人生の夢は、
「心の観覧車を回し続けること」

これなら、すっと言えるが、
これは夢というよりも、ミッションだから、
ずっと根底に持ち続け、
具体的な夢を小出しに、生きていくとしよう。

いくつになっても、夢を忘れない。
そんな生き方がしたい。




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