キャンディは移動に、仕事の合間に、ちょっとしたひとときに必需品だ。
昔、映画などを見て、飛行機に乗ったらキャンディがもらえるんだ~。と子供ごころにうらやましく思った。
ここ何年か、飛行機に乗っても国内移動の場合は、ドリンクをもらわないでキャンディをいただく。先日久しぶりに利用したが、そのとき、イチゴ、レモン、ぶどう味に黒飴をまとめたセットにした小袋をいただいた。子どものときの憧れが蘇り、なんとも微笑ましく、うれしかった。
飴というと健康に良さそうな感じ。確かに喉にもよい。リラックスもでき、気分転換にもなるし、万能フーズだと思う。
大阪のおばちゃんは、会う人会う人に「飴ちゃん」を配る?。という話は有名であるが、それだけに飴はふれあいの印。コミュニケーションツールでもある。
私自身も、「今日は、はい、大阪のおばちゃんじゃないけど・・・」といって、会議の合間にちょっと変わった味の飴などを配ることも少なくない。
長崎のシスターは、北見のハッカのキャンディーがお好みで、時々送ると喜んでくださる。
家族はニッキのキャンディを車に常備している。
それぞれ、好みが違うが、また大変地味ではあるが、飴は生きるために、実は
大切な存在である。
目にしたとき、口に入れるとき、だんだん溶けていく間、あるいは噛んだとき・・・どんなに忙しい時間のなかでも、ほんの束の間ではあるが、キャンディタイムはくつろぎと癒しを与えてくれる。
普段、ミント系のキャンディを小さな容器に入れて持ち歩いている。それを開け、電車のなかで、一つ取り出し、マスクを少しずらして、ぽいっと口に放り込む。「ふ~っ」。しばし気持ちがOFFになる。
ふと、悲しみや寂しさが和らぐ、フェイドアウトされていく、そんなキャンディがあるといいなと思った。
泣きたいときに、その気持ちが鎮まる・・そんなものもあるといいときがあるかも。
さて、それはどんな味?涙の味?ほんのり塩味?いや、違う。
シトラス系か、バラ系か・・・。そんなイメージ?勝手に妄想する。
キャンディ。永遠の夢の言葉。
辛いとき、しんどいときも、それを静かに乗り越えられる一粒があったら。
そんなのもあったらいいな。