天職人との出会いを。

最近、新たな出会いが広がっている。
それが母の死がきっかけになっていることが、何とも言えないのであるが、
本当にこれがなければ出会うことがない人に、多く出会えている。
不思議なご縁としか言いようがない。

そんななかでも、葬儀を担当してくださった葬儀ディレクターの方。
やりとりの中で、すっかり打ちとけて(と勝手に思っている)、
母の葬儀が終わっても、いろんな慣習についてわからないことをメールで
教えてもらったり、その仕事ぶりをWEBマガジンの原稿に書いたり、コミュニケーションが途切れず、続いている。
もう少し突っ込んでちゃんと話がしたいと思い、また黒いコーヒーをその方にも差し上げたいと思い、喫茶店でお会いすることになった。
なぜ、葬儀の仕事をしようと思ったのか。ここが私にとっては一番聞きたかった点であった。

この世界、1日で逃げ出す人も多いとのこと。
この方の場合は、いとこにお寺様がおられて、そういう職業があるということを若いときに聞いて、その道に入ったとのこと。
最初はもちろん知識もなく、まず先輩について教わる。現場で知る。
そこから始まるそうだが、気が付けば、もう20年近くこの仕事をされているとのこと。
独立もしようと思えばできるぐらいの実力者であるが、やはりこういう世界は
知られていなければ依頼されないため、組織の中で仕事をしているそうだ。
多くの件数をこなすのではなく、ひとりひとりに寄り添って、最後まで丁寧に
見送る・・・。
葬儀といえば、仏式が多いが、宗派が異なれば葬儀も変わるそうで、とにかくさまざまな知識が必要。日頃よりお寺さんとの会話で、さまざまな知識を得ているそうだ。
と、これまでの私にとってはすべてが未知の世界。
とにかく、このお仕事は素晴らしいと頭が下がる。
「この仕事、天職だと思っています」
こんな言葉を聞いて、本当に心からほれぼれした。(表現が適切ではないが)
何よりも、形式を重んじるのではなく、祈りの気持ちが一番大切だ言われたことに感動した。
そのおかげで、何も知らない私でも喪主をつとめることができた。

葬儀で音楽を演奏するのを、「献奏」というそうだ。
もし、ご縁あればとも思う。お経だけが送る手段ではない。
いろんな送り方がある。
そのことを、この方も心得ておられたことが、とてもうれしかった。

人生の最期に関わる仕事。
目立つ、派手な仕事ではないが、本当に素晴らしい。
素敵な人に出会えてよかった。
またお願いします。とは言えない仕事ではあるけれど・・。

天職についている人の顔つき、表情は素晴らしい。
清々しい。
いい出会いを、母がくれたのだ。

私のこのコミュニケーションクリエイターという仕事も
天職だと思っている。
言葉で、文字で、音楽で、笑顔でコミュニケーションの和を広げ
関わる人が元気になっていく、愛と元気をお届けする仕事。

違う世界でがんばる天職人とのご縁を大切にしていきたい。



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