昔時間への通勤。

名古屋と岐阜の往復。地元で「名鉄」で知られる名古屋鉄道を乗り継いでの移動。名古屋駅から実家の最寄り駅まで約40分。徒歩時間も入れるとドアto ドア
で1時間強。
東京から引っ越しして、時間を経るごとに、この距離を行ったり来たりの回数が増えた。
とくにこの半年は、まるで通勤通学のごとく、連日の移動。
会社へ、学校へ行くのではなく、昔時間への移動だ。
乗る時間帯も関係するが、まったく密にならない、すいた電車と徒歩で
コロナ的には問題ない。スマホで仕事をしながら、移動できるのも
今の時代ならでは。この点は大変ありがたい。

電車を降りて、実家までの道のり。車で移動が常識の地元の人からすれば
「へえ?!そんな距離歩くの~?」と言われるが徒歩で15分ほどの、
ほどよい距離だ。車も少なく、川沿いに歩けば、楽しい散歩道でもある。
小学生の頃から歩き慣れたこの道を、せっせと歩く、きょろきょろ歩く。
今と昔の風景を心の中で見比べながら、歩く。
子どものときから立っていた古い家が今にも壊れそうだけど・・とか、
あの畑に紫の花が咲いた、ああ、もう枯れた。
あの家は確か同級生の家だけど?今はどうしているんだろう?
子どもの頃お世話になったあの自転車屋さんは、まだやっているなあ、
畑仕事をしているおばさんはだいたい何時ごろだと必ずいる・・・・。
あの家の駐車場にいつもネコがいる・・そんなことまで、なんどもなんども歩くのでわかってくる。そのネコに声をかけたり、近所のおばさんに発見され、
声をかけらたり・・・・。
風景と生活のリズム、静けさは、昭和後半の時代とさほど変わっていない。
まさに昔時間へのタイムトリップ。
ふと、母が自転車に乗って、通りそうな気がしたり、自宅の裏で帰ってくるのを待っていた姿が浮かんできたり・・・。

この昔時間への通勤は、楽しくもあり悲しくもあり、寂しくもあるが、
まだまだ通い続ける。
その場所にいくと思い出すことがある。
子どもの頃の私は、今の私を想像していなかった。
と、昔の自分と対峙するのも、悪くない、この通勤。



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