捨てられないお宝 発見。

今、妹と時間があるときに、実家の荷物整理をすすめている。
山積みの段ボール、各家具に収納されているものを引っ張り出して
仕分けしながら、処分するもの、とりあえずとっておくもの・・・
と作業を続けている。
最初は苦痛と思える量であったが、段ボールの山がだんだんなくなってくると
少しづつ寂しい気持ちにもなり、また、その中身を見るごとに、父や母の
元気な日のことを思い出し、一緒にいるようなそんな気持ちにもなったり、
二人の人生を違う角度で追いかける時間を愛おしむようにもなっていることに
気づく。
こういう人だったんだ。そういう生き方だったんだ・・・。
直接会っていた時とは違う理解がすすむ。
これは、別れたあとに わかる・・というところが何ともいえないところ。
そんな荷物の山のなかに。最近みつけた、ぶあつい茶封筒。
なんだろ?
中を見ると、なんと昭和時代の、父の給料明細の束。
昭和50年代の日付があるため、私の小中高生時代のときのものだ。
思わず作業の手が止まる。
毎月とってある。この時代はまだ振り込みではなく、明細とともに
現金でいただいていた。
父が毎月、おそらく25日にこの封筒を持ち帰り、そのまま母に渡し、
母はこれを受け取り、これで1か月やらなあかん。自分もがんばって
パートしよう。とかいろんな思いがあったはずだ。
やりくりをしていた様子、節約をしていた様子・・が当時の食卓とともに
浮かんでくる。
よくこの金額で、ピアノやエレクトーンのレッスンに通わせ、ピアノを購入して・・・。「うちは車がピアノに化けた」と、母がいつも他の人に言っていたのを思い出す。
そう、この給料で私や妹を育て、とくに私には音楽で多大な費用を使ってくれた・・。
この給料明細、見たことがなかった。大人になった今、それを見ることで、親の苦労が沁みてきて・・・・。
もっとこうしてあげたらよかったとか、も正直思えてくる。
社会人になってからは、自分なりにはできることはやってきたつもりであるが、
まだ足りなかったかもと・・と思えてくる。
給料明細とは、親の努力を示す、最高のエビデンスかもしれない。

今は、残された父にせめて、できることをいっぱいしなくては、と強く思える。
好きな魚のおかずを、施設にもっていこう・・・とか、手紙をもっと書こうとか、頻繁に足を運んで、ドア越しでも会えるようにしようとか・・。
本当に些細なことしかできないけれど・・・。
この給料明細は、捨てないでしばらく両親の写真の横においておこうと思う。

いやはや、捨てられないお宝に出会ってしまった・・・。


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