誰に、どこに光をあてるのか?

いつまで経っても、おれがおれが、わたしがわたしが・・という生き方は大人げない。いい年になったら、どんどん後任に任せる、あるいは若い人にチャンスを与える、若い人が生きられるように道を開ける・・。歳を取るほど、周囲に感謝を毎日できる、謙虚に人の話が受け入れられる人になりたいと、最近思うようになった。
長寿社会になって、みんなが元気老人になると、生涯現役の意味の解釈を間違えてか、ずっと自分が主役じゃないといけない・・・なんて思う人もいるようで・・。もちろん元気は大変結構だし、人に害を与えるわけでもないのであれば、ま、いいか。とも思う反面、自分は世間の黒子となって周囲を盛り上げる役に回るのが良しとされている人や、またはいつまでも謙虚で素直で勉強熱心な方にも出会い、ああいいな、と自然に頭が下がる。
ある程度の年になり、隠居するというのがあたりまえだったあの時代・・それはある意味、正しく、美しかったのかもしれない。いつまでも人は元気に生きる必要は本当はないのかもしれない。
今、人口減少を嘆く人や自治体も多いけれど、自然がいい。数字って上がればいいというものではなく、自然に上昇、下降するのが理に適っていると思う。
生涯の仕事に命を奉げる・・とても美しい。でも、自分が目立つためではなく、世のなかのために仕事をがんばるのがいい。
スポットライトの前に立つ時代から、それを照らす側に。これがいい年の重ね方のような。そう、やっぱり仕事も人生もリレー、リレーションシップの連続だ。そんなことができる人が真のリーダーではないかしらん。

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