残された人がつらい。残された人が大変。
人の死とは、そういうものだと、母が亡くなったあとに誰かが
言っていた。
確かにそんなものかなと思う面もあり、そして、
今は、それもあるけれど、それだけでもないとも思える。
今も母の姿かたちが見えないことは、考え出せば悲しくなるが
いつかその日は来ることになっていたのだから、とあきらめはつく。
そして、誰もが経験することだから、自分だけではないのだからと
思い直す。
そして、母に対しては、自分ができることを悔いなくやれたと思うので、
苦しい気持ちはなく、少しづつ時間を経て、客観的に
人生の大きな節目として、とらえることができるだろうと思っている。
残された者というか、残ったものは、亡くなった人のことを
それぞれの思い出を抱き、生き続ける。
このたびの母の死があって、初めて出会う人、言葉を交わす人もいる。
それも含め、生きている限り、さまざまな出会い、関わりを持ち、
生き続ける。
死という別れが、新たな出会いを連れてくる。
まさに、人生は観覧車のように・・・。
出会いがある、刺激がある、学びがある。これは、元気であるからこそ
得られる人生の恵みだと思う。
自分がこの先、どれぐらい生きるのかはわからないが、
いい出会いを得られるように、毎日に臨みたい。
若い日は数多くの名刺を集めるごとく、
たくさんの出会いがある方が良いと思っていたが、今はそうではなく。
尊敬できる、心から共感できる人との良質な出会いを求めたい。
数ではなく、質。
人は生きる限り、出会う。出会える。
さあ、今日はどんな?