子どもの頃から、あるいはいろんな事情で母親がいない人が、母の日をどう捉えているか、などこれまで考えることもなかった。
そんなことを知っただけでも、今回の母のことは勉強になった。
赤いカーネーションが町を彩り、楽しい感謝が溢れるのが、これまでと違う感覚で私のなかに入ってくるが、これは、ひとつの時代を過ぎたのだと思うことにする。
今日は四十九日法要の日。意図して計画したわけではないが、母の日になったことは結果的に良かったと思える。
きっと、これでこの日のことを、生涯忘れないだろう。
姿が見えても、みえなくても、母という存在は永遠だ。
今日は心に広がる母を抱き、静かに祈りを捧げたい。
それぞれの母の日。きっと感謝の気持ちを捧げるという点では、世界共通だろう。母のおかげで、自分がいる。
母がいなければ、自分は存在しない。それも世界共通だ。
死ぬまで、そのことは変わらず。改めて、感謝を込めて。
今年、はじめて紫のカーネーションを選んでみた。