母が旅立って、1か月が経った。
こんなに長いひとつきがあったのかと思うほどに、
わが人生でもっとも濃厚な、また非日常も非日常、経験のない
時間が進んだ・・・。
四十九日まで、なんどかお寺に足を運び、お参りをする。
ほぼ毎週、紫色の花と好きだったものなど、お供えを携えて
伺う。
あと何回、あと何回と思っていたが、もう1か月が過ぎた。
その四十九日の法要について、お寺さんと相談して日程を決める。
たまたま5月9日となった。連休後か~と思っていた。
その後、町なかを歩くと、母の日の催事が賑やかになっている。
母の日・・・。
気が付けば、その四十九日に決めた日が、母の日だった。
いやー、たまらんなー。
赤いカーネーションのディスプレイや、デパートの大きな
サインなどを見ると、目をそらしたくなる。
毎年、何かしら必ず、プレゼントしてきた。
今年は、今年からは、贈りたくても贈れない。
・・・こんな風に、母親を亡くした人にとっての、母の日は
とくに亡くなって1年経っていないなかでの、母の日は
なかなか・・・である。
白いカーネーションを・・と言うけれど、赤に対して、白
と言われた段階で、悲しみが増すだけだ。
もっと違うカタチで、母がもういない人のことも考えた母の日の
在り方を考えてほしい。と思ってしまった。
いやー、連休明けまで、華やかなお店に行きたくないな~。
過去の母の日を思い出すのが、つらくなる。
と、思う人は私だけではないはず・・。
楽しい気持ちのときは、プロモーションもいいけれど、
催事も時に、考えものかも・・・。
もちろん月日が経てば、感じ方も変わってくるだろう。
今はそれを待つのみか・・・。
母の日は良いとして、毎日その存在のありがたみを感じながら
自然にこの状況に慣れていこうと思っている。